再考「近年、詩壇にあらたなムーブメントは興るか?」
オダカズヒコ


この表題は、榊蔡さんが10年前に立てられたトピックです。
http://bungoku.jp/fbbs/viewtopic.php?t=81
残念ながら、この10年、詩壇に新たなムーブメントが起こることはなかった。
そう云ってよいと思います。
これは詩を書くことを、ずっと楽しみにしてきた者にとって、このジャンルが、
廃れゆく一途を辿ることを意味するものであり、ひとえに面白くない話です。
この論議に詳細に分け入っていくと、全く変化がなかったわけではありません。
インターネットという新しい媒体があります。
その影響というものは、無視できないほど大きなものとなっています。

さて、榊蔡さんが10年前にどういう議論をされていたのかをみていきたいと
思います。

「詩壇にあらたなムーブメントは興るか?
 これが本題です。
 つまりどういうことかというと、
 詩壇とはまるで関係ない地元の仲間とかに、
 まるで映画を語られるように、まるで音楽を語られるように、
 とある詩人の名前が会話のなかで持ち出されるか、
 ってとこ。」

ぼくは詩壇というと荒地派のようなものを想像してしまいますが、彼の論点は
そこにはなかった、ということは注目すべき点です。
詩がポップカルチャーとして、十分な位置を占めること、これが彼の提起した
問題意識だったわけですが、これは容易ならざる、そして新しい切り口だと当
時のぼくは思ったわけです。

詩が、メインカルチャーとしての社会的な役割を全面に果たす時代。
そこへ至る道筋をつけることは果たして可能だろうか?
可能であればそれはどういう姿として立ち現れるものであろうか?
ぼくは一人の天才の力だけではそういった文化は社会に根付かないと考えます。

やはり荒地派のような中心的な役割を果たす「詩壇」のようなものを形成する
必要があり、そこでは新しい議論と詩の理論によって社会に分け入っていく説
得性がなければいけません。
つまり。「詩壇に新たなムーブメントは興るのか?」
ではなく。
こう言い換えなければならないわけです。

いわく。
詩壇に新たなムーブメントを興す意志と決意が、まず、なければならず。
それを裏付ける、時代の潮流がなければならない。
その上で、詩を新たなカルチャーとして仕立て直す、仕立て屋がいる。
詩というものの形の、社会的、経済的な側面に洞察を加えること、そしてその
道理を説く事。
これらが備わった社会を夢見ることは、詩書きの素養の一部として、もっと、
そして大らかにに語られてもよい事ではなかろうかと、昨今思う次第なのです。





散文(批評随筆小説等) 再考「近年、詩壇にあらたなムーブメントは興るか?」 Copyright オダカズヒコ 2015-10-14 01:33:29
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