Miz 7
深水遊脚

 そのときそれほどピンとこなくても、似た者同士の魂は引かれあう。そんなことが確かにあるのだと思う。澄花さんの半生は思ったよりは平凡なもので拍子抜けしたけれど、抱かれた余韻もあって少し夢心地で、いちいち相槌をうって聞いていた。薫子の死により宮原の家での居場所のない宙に浮いた状態が続いて、本や映画の趣味から薫子を理解しようとしたのは、私も辿った道だった。異性愛を知らず知らずのうちに押し付けてきたことを知って、その押し付けが自分自身にも向いていたことに気付いた。そのあとで押し付ける側の価値観に留まって人間関係を維持して行くこともできたと思うけれど、澄花さんはそうしなかった。直接にはご主人の浮気をきっかけに、芝居がかった修羅場を演出して離婚にこぎつけた。離婚後の独り暮らしが不安ではあったものの、経済力をあてにして戻ってくるだろうとたかをくくった宮原家の人々の態度に、彼女は独立心を固めていった。修羅場の演出が功を奏したのか、分与された財産は多かったけれど、それを食い潰したら先がないことはよくわかっていた。手っ取り早い稼ぎが必要だったのと、興味もあってスナック勤務から始めた水商売が意外に自分にあっていた。口説いてきたお客の何人かと寝たことで、セックスにも抵抗感がなくなり、かえって楽しむようになった。相手の先入観をかわして自分が楽しめるようにリードするのはコミュニケーションで何とでもなる。段々とそう考えるようになっていった。そんな澄花さんがセックスワーカーになったのはごく自然な流れだった。もともと知的で、薫子のことを考えたときに異なる価値観や文化に対する想像力が増した。それはブログを通じて私もよく知っていた。天職を得たという感じなのかもしれない。

 私が薫子のことを考えて得たものは、遅れて気づいた彼女の好意を受け入れられなかった自責の念だけだった。それに、創作文芸部にいた男子の彼氏が薫子の理解者として振る舞っていたことが気に食わなかった。薫子をネタにしているとしか思えない独りよがりの詩や小説が載った文芸部の冊子を私も手にして、殺意に近い憎しみを覚えた。それ以来だった。男性に対して根本的に憎しみを抱き、どんなに親しくなっても心の奥底にある警戒心を消せなくなったのは。そんな悶々とした感情を抱えながらやって行けるほど、チアダンスは甘くなかった。退部したあとはダンスと筋トレの習慣だけが残った。体を動かすことは変えようのない習慣であったし、思考だけに嵌まり込む私の安全弁になっていた。会話相手の薫子を永久に失った穴は、映画や小説を貪って空想の薫子に批評させることで必死に埋めていた。薫子の色が感じられる批評以外は受け付けないほど視野は狭まっていて、他人とのコミュニケーションに支障を来していた。

 思考だけに嵌まる状態から逃げる手段は、ダンスと筋トレ以外にもたとえば受験勉強だったり、大学の試験やレポートだったり、いっぱいあった。寂しさを満たすために意にそぐわないグループに属したりということもなかったけれど、周囲の悪意にはそれなりに遭遇することが多くて悩んだりもした。それでも薫子の不在という圧倒的な絶望の前にはどんな悩みも葛藤も小さな波だった。貪り読んだ小説や映画の話を小出しにすることで親身になってくれる人を何人か得て、そつなく人間関係はこなしていたと思う。

 性についてだけは違った。興味はあるもののそれを実現する誰かに出会うことはとても難しかった。男性のことは嫌いだった。でも女性の誰かとそんな関係になることに現実味はなかった。探り合いに終始するばかりで心身ともに委ねるパートナーはそういなかった。親身になってくれる人たちからは性的なにおいはしなかったし、何よりこれで関係を決定的に壊すのが怖かった。男性の間では、お高くとまっているという理不尽な評判がたっていて、言い寄ってくる男性も少なかった。数合わせで参加した合コンで一番消極的でモテそうにない人と不思議に話が合って、性体験はその人と済ませた。残念ながらその人も、薫子の彼氏が書いたものの範囲を一歩も出なかったし私をみていなかった。のみならず私の理解者を気取って周囲に求められるままに私たちの関係のごく私的な部分まで話してしまった。それが嫌になり恋愛関係は解消した。幸い皆が簡単に納得する理由は十個くらい即答できたので、自分の芯は守り通した。この手の人はストーカーになることも多いと聞くけれど、たいへん潔く別れを受け入れてくれた。男性にまつわる、数少ないよい思い出かもしれない。きついこともいろいろ言ったけれど、それに切れたりせず、自分の間違いは素直に認める人だった。真面目過ぎるから女性に話しかけるだけでもいちいち勇気を振り絞っていたし、真面目過ぎるから野次馬さんたちの好奇心にいちいち誠実に答えてしまったし、真面目過ぎるからもう会わないという約束をたいへん律儀に守った。体を許したことは後悔していない。もう少し「女性」ではなく「私」を知ろうとしてくれていたら、お付き合いはもっと続いて、私のいまの男性観はもっと違っていたかもしれない。

 澄花さんに話したのはそこまでだった。はじめの彼、勿体なかったね、と軽口は叩いていたたけれど、もし続いていれば違っていた、という言葉からその裏返しの意味を察してくれたみたいだった。つまり彼と続かなかったから私の男性に対する猜疑心、嫌悪感は和らぐことなく、次以降の男性経験からむしろそれは悪くなっていった。

「彼が一番よくて、そのあとは大変だったんだね。」

まだ言葉にはできないそのことを深くは確認せずに同情してくれた澄花さんには感謝している。私はただ澄花さんの肩に顎を乗せて、少しずつ染み出す涙を枕に逃がしていた。

 気持ちがすっかり落ち着いて、眠りそうな心地よさを感じ始めた頃、澄花さんに促されて一緒にシャワーを浴びて化粧をした。女同士だと化粧が落ち着いて出来ることは新鮮な発見だった。澄花さんはさすがに時間の管理が上手で、お仕事までに遅い昼食をとるのに丁度よい時間が残っていた。私たちはホテル街にある喫茶店で 一緒に食事をした。珈琲も美味しく食事も充実しているので人気があるそうだ。澄花さんはピラフと一口カツとサラダ。体力仕事なので食事はしっかりとるそうだ。私はミートドリアにしてみた。

「結局私たち、薫子には会えなかったね。」

澄花さんの言葉にハッとした。

「本当のあの子はもういない。でもあの子抜きで私の一生も、マミちゃんの一生もない。それでいい気がする。」
「そうですね。いろいろ考えてきたし、これからも考えると思います。」
「眉間のシワ、まだ消えそうにないね。」
「そうですか?だいぶリラックスしているつもりですけど。まだ残ってます?」

 最後はそんな軽口を叩きあって、すぐ近くの待機所に向かう澄花さんと別れた。日差しはもうだいぶ弱く、強めの風が頬を冷やした。私自身が戦う理由と戦う相手、それをはっきりさせるために薫子の記憶と向き合う作業は、澄花さんと心地よい時間を過ごすことによって、いつの間にか出来ていた気がする。薫子そのものにたどり着いたわけでもなければ、正義についての考え方が定まったわけでもなかった。それでもこれまでの人生で懸命に戦ってきたしこれからも戦うであろうものの姿ははっきり見えた気がした。互いを思いやるきめ細かな優しさに満ちた心地よい時間は、たぶん意識して作ろうとしなければできない。それを破壊するものが人のなかにも、自分のなかにもある。作ろうとする努力を投げ出してしまえば、その瞬間破壊衝動に荷担して、破壊する側を全力でサポートしてしまう。破壊することこそ美しいと考える人もいるかもしれない。関係を壊そうとすることが悪だとして、維持しても仕方のないものを維持するよりは破壊してしまった方が美しいときもある。澄花さんの結婚生活も、私のチアダンス部での活動もそうだった。宮原家の人たちにとっての澄花さんは悪だったし、チアダンス部にとっての私も悪だったのだと思う。でも悪となっても貫き通すものがあり、エゴではなく、自分や誰かの中にある美しさにたどり着こうとすれば、目を反らしていた複雑さは繊細さでもあることを知り、繊細さは包み込む優しさを生み出すこともある。澄花さんが作り出してくれた優しい時間について、飽きることなくいろんな角度から考えていた。


散文(批評随筆小説等) Miz 7 Copyright 深水遊脚 2015-10-07 05:53:37
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