『戦争詩歌集事典』高崎 隆治より、戦争詩を考える。
こひもともひこ

北原白秋・高村光太郎・三好達治は、私の好きな詩人だが、彼らはみな戦争協力詩を書いている(「戦争協力詩」という言葉は変だが、「愛国詩」「(反戦詩ならぬ)賛戦詩」「戦争昂揚詩」のどれも変ではある。この辺の名称が存在しないのも不思議だ)。当時の日本は、今の北朝鮮を笑えない状況だったことの想像はできるので、心情としては書きたくなくても、戦争協力詩を書かざるを得なかった詩人が多くいたであろうことの理解はできる。けれど、この時期に書かれた戦争協力詩を探してもなかなか見つからないのは非常に気持ちが悪い。探してみると、『辻詩集』には多くの詩人の戦争協力詩が載っているようだが、手に入れようと思える値段ではない。私の住む地域の図書館で見つかった戦争協力詩(詩人)に関する書籍は二冊だけ。うち一冊『詩歌と戦争―白秋と民衆、総力戦への「道」』 に取り上げられている北原白秋の作品の多くはここで読める。
・大東亜戦争 少国民詩集→http://www.j-texts.com/hakushu/daitoaah.html

高村光太郎のものはここでいくつか読める。
・日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室 →http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/poem/TakamuraKotaro03.html

もう一冊は、戦争当時に出された詩集(短歌俳句含む)を集めた『戦争詩歌集事典』高崎隆治だ。これは戦時中(戦前・戦後含む)に出版された詩集への批評と、収録作品の一部抜粋のみのものなので、詩の全貌が分かるわけではないが、ここに収録されていた作品から、著作権切れということが分かった詩人の作品を幾つか紹介する。




・兵ら紅葉食ふ 佐藤春夫

 山の上の陸戦隊の/兵らもみぢ食ふ/ふるさとの秋山 慕ふ/風雅とはゆめな思ひそ。/前線の糧食も絶えて/芋畑の芋も尽きぬる/芋の葉の食ふべくんば/あにこれを食はざらめやと/兵らもみぢ葉を食ふ/敵前の峡に求め/枝を折り葉をむしり食ふ。/もろともに分かちあひつつ/秋ふかみゆく江辺の/山の露営は寒くとも/食ふべき紅葉ありぬと/兵ら語りつつ食ふ。/色濃きは更に甘しと/兵ら相ゆづり食ふ。

 兵ら捨つべき時の至るまでもみぢ葉を食ひ命やしなふ(反歌)

◇メモ:豈【あに】
1 あとに推量を表す語を伴って、反語表現を作る。どうして…か。
2 あとに打消しの語を伴って、強い否定の気持ちを表す。決して…ない。


・平原 平田内蔵吉

敵は残滅したが飯がなかつた
残つた乾パンも食べてしまつた
泥水をタオルで漉してはすすり牧草をかむ
塹壕の穴は血であふれて
かたはらに外蒙兵の屍体があつた
(誰がためにささげし命ぞ)
懐から母の写真がのぞいてゐる





つづいて、高崎隆治の書いた評文からいくつかの文章を紹介する。




・高崎隆治の評文より

「詩の神聖を汚す」というのは被害妄想だが、率直に言えば、絶叫調の政治的なプロパガンダを行分けして形だけ詩のような体裁をとったもので、過激な演説としかいいようはなさそうである。人の思想がそれざれ異なっているのはさしつかえないが、己れ一人を尊しとし、日本以外の世界を野蛮呼ばわりし、非道・背徳・侵略・低劣・野心・強欲などと罵倒するだけの作、言い換えれば独断と偏見と憎悪の集積から「詩」は生まれようはずもない。

「殉死」という言い方はむろん当時のジャーナリズムがつけたものだが、率直にいえば「自殺」であり「後追い心中」である。「比翼忠魂」などという勝手な表現は虚構で、そういう形でしか「愛」を貫くことができないと一途に信じた戦時下の若き女性の悲劇である。

一般的に、傷病兵の作品は戦闘がいかに激しかったかということと、自身がどれほど勇敢に戦ったか、そして模範的な「忠誠心」の持主であるかという諸点を強調するのが特徴で、極論すれば自身の欠点や弱点を凝視しようとする姿勢は皆無に近い。自己を救済する方法がそれ以外に発見できないからであろうが、戦争体験者による「われかく戦えり」式の回想記が、自己肯定に満ちていることと共通ななにかがそこにあるように思われる。

「死んだほうが楽だと思つた」というのも真実なら、馬の手綱を「死んでも離すものか」と思ったというのも兵士にとっての真実である。





図書館に置いてあった本書は貸し出しできない図書なので、図書館に行き、ちょくちょくと筆写している。最初は詩だけを書き出すつもりだったのだが、のめり込んでしまったようで、俳句・短歌も抜き出すようになってきた。

戦時中(戦前・戦後含む)に出された詩集を出来るだけ集めた本書には、書かれた内容にいくつかのタイプがある。まずは、「兵隊さんがんばれ」「大日本帝国万歳」といった戦争肯定・応援・賛歌型の内容だ。これの対極にある反戦詩は存在しない。理由は、検閲がかかり出版できないことと、下手に厳しい反戦内容のものを書くと、特高警察に捕まるためだろう。当時の日本はいまの北朝鮮を笑えない国だったわけだ。反戦内容のものが書けないとなると、戦争肯定型の内容ばかりになっていたのか? 本書を読む前の私はそう思っていたのだが、実際にはそうではなかったようだ。では、どういう内容のものなら書けたのか。

1・戦場に赴く息子に向けて心配する母心を歌ったもの。
2・戦地の風景や、戦場を経験した自身の身上を語った兵士・上官のもの。
3・相手兵士(特に少年兵)への哀れみを歌ったもの
4・それらの体験談を読んで、想像力を使い書かれた創作物。

だいたいこの4タイプに分類できる。これらの内容には、あからさまな反戦や、国への批判等は書かれていないものの、書かれた作品が戦争肯定に寄っているのか、戦争反対に寄っているのかは大体分かる。また、戦争肯定/反対という視点とは別に、これらの作品群を読んでいると、他の事情も読み取れるのがおもしろい。一つは飢えの問題。詩の中に、食うこと・飢え・食糧不足なことがやたらと出てくる。これは水木しげるの漫画『総員玉砕せよ!』に描かれていた兵士の姿そのままであった。彼らはとにかく腹が減っている。対照的に、上官は食物に困っていないところなども、今の北朝鮮そっくりだ。もう一つは、「支那兵」という言葉がいくつも出てくることから、戦っていたのは米露の兵士ではないことと、敵兵士に対する恨みつらみのない内容のものがあることから、「憎き敵を皆殺しにしろ!」というような思考ばかりではなかったことが分かる。




・長谷川素逝

雪の上にけもののごとく屠りたり

汗と泥にまみれ敵意の目をふせず

思ひあまたいくさする身のおぼろ夜は

民うゑぬ酷寒は野をおほひけり

月落ちぬ傷兵いのち終わりしとき


・片山桃史

ひと死にて色盲の子の図画とどく

生きてくふ飯荒寥とひとりびとり

たらちねの母よ千人針赤し

忍従の兵這ひ泥土馬を喰ふ

流れ弾とべり軽傷兵饒舌

いつしんに飯くふ飯をくふはさびし

あるひは墜ち墜ちしまま手榴弾の音

雷電と血の兵が這ひゐたる壕

一斉に死者が雷雨を駆け上る

ひとときの煙草三百余のいのち


・富沢赤黄男

とある夜は呼吸とめてきく長江の跫

燈はちさし生きてゐるわが影はふとし

寒月のわれふところに遺書もなく

蛇よぎる戦にあれしわがまなこ

流弾に噛んで吐き出す梅のたね

雨あかくぬれてゐるのは手榴弾

砲音の輪の中にふる木の実なり





この書籍に収録されている短歌・俳句を抜き出していると、単品で意味(戦場風景や兵士の心境)の分かるものと、単品では何を描いているのか分からないものの、複数の作品が抜き出されていると意味の分かるものとがあり面白い。音楽でいうシングル曲なのか、コンセプトアルバムなのかの違いに似ている。選者の批評眼が鋭いので、取り上げられている作品のほとんどは力のある作品なのだが、まれに「あれ?」と感じる作品がある。けれど選者が書くその作品の批評文を読むと、「読むべき箇所の無い作品だが強いて挙げれば~」という内容が書かれてあり納得する。それにしても、これらの詩が、果して戦後詩に生かされてきたのかどうなのか? ひたすら疑問を感じる。




・壁 野口米次郎

(略)
私は沢山の人を愛した、
最も愛したものに真実を語ることが出来なかつた。
私は詩を書いたが、本当の詩は書けなかつた、
私は今人生の結論を与へねばならない場合にある
心の壁に映つた影の場面は一つ一つ消えてゆく。
私は壁の彼方に、もつと広くもつと深い人生があるやうに感ずる。
私は壁に秘密の門があるやうに感ずる、
私は立つて床の間の門に上り、これに触れやうとする、
門がない、ただ平たく拡つてゐるのみだ。


・カラバル準高原 島崎曙海

(略)
はるか向ふの山かげの窪みには指揮刀を打ちふるつて、
なほもしつこく反抗しつづけてゐる敵陣がみえる。
山砲は地殻をふるはし、正確に地響を立てて敵陣地をふき上げてゐる。

土民は戦火に追はれて準高原を捨てた
また追はれて嶺を越した
仮の草庵を山に結び穴居時代が甦つて来た。あらゆるものはたたきこわされ、鍋と茶碗の生活がくりひろげられていつた
戦火はここまで来た
ただもう地殻にまろび、蛙となるより外に術はなかつた。


・ブキテマ奪取戦 中野繁雄

こちらを向いて笑つたのが
最後の挨拶だつた
残る二人は
笑ひ返すいとまもなく
おい と 揺り動かす術もなく
昨夜肩をすりよせ被つた毛布に
二つの亡骸を抱き
砲弾の激流を泳ぎつつ
まだ自分らの匂ひの残つている散兵壕に
戦友をけてゐる
(略)





散文(批評随筆小説等) 『戦争詩歌集事典』高崎 隆治より、戦争詩を考える。 Copyright こひもともひこ 2015-10-03 00:02:23
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