貝殻虫
榊 慧

ゆきゆきて。みてーな感じで夜が明けたのは幻想で眠れないまま私は午前四時を認識する。ぬるついた顔面、なにも期待できない台風、消散したアイデアと期待。

「生命という認識に意味はあるの?どれもこれもただの道具でゴミではないの?」という疑問を抱いてはいけませんといわれた過去を捨てきれないので現在いろいろ悲観しております。恐れ入ります。
「生命に意味などないよ」
そのとおりじゃないの?

愛、ラブ、ラブ&ピース、ピース、そして研究室。愛なき世界じゃだめ?と愚問にされる人類もいるという認識。認識の認識による破壊行為、そして月桂樹を思っての行為という名の暴力。貝殻虫を駆除しようとするわたしは世界の脅威に他ならない。暴力がきらいだといいながらも貝殻虫を殺戮してしまうわたしの両手をだれか撃たないかなあと思って貝殻虫をこそぎ落とす。ばかじゃねえの。ばかだよ。死ねばいいのに、わたし。幼い自意識ははやく淘汰されるべきなのに、なぜ、なぜ、なぜわたしの暴力をゆるすのですか神様。死ね死ね死ね死ねって思うことすらせず貝殻虫を死なせるわたしの認識。だれも幸せになりませんようにって思うことすらせず夜が明けたら私は死にたさを認識するだろう、みんな死にますようにって、その「みんな」ってどういう価値基準で選んだ範囲? いくつかの不幸は仕方がないの? この世は広いから? いくつかの不幸は仕方がないの? 貝殻虫を殺戮するわたしは「正常」? どうして?

どいつもこいつも自分を含めて呪うしかないな、の、「どいつもこいつも」の選定基準はなに? 

真摯に素直に殺戮をくりかえす。

貝殻虫にわたしは恨まれて呪われるだろう。


散文(批評随筆小説等) 貝殻虫 Copyright 榊 慧 2015-08-29 14:14:35
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