最近は、ぼくは殆ど詩は書いていませんが、現代詩フォーラムや文学極道に
投稿する際に、たまに新しいのを作ることがあるくらいで、まぁ、ここ5年
くらいは、詩を書くという行為から遠ざかっています。
で、
殆ど、休日は釣りへ行くか温泉へ行くか、山へ行くか、職場が大阪のゴチャ
ゴチャした町で、もう人を見るのが嫌になるくらいのところで毎日働いてい
るので、どうしても自然のある場所に足が向くわけです。
しかし、そうこうしているうちに、詩を取り巻くメディアの状況というのも
随分、変化したもんだという感慨を、ふとインターネットを開き、ネットか
ら見える「詩会」をみるとき、思うのです。
例えば、日本現代詩人会という組織が、ホームページを持っています。
(H賞と現代詩人賞を出している団体ですね。)
まぁ、今時、無い方がおかしいんですがね。
日本現代詩人会
http://japan-poets-association.com/
ここの「その他の詩集賞」と記されたアイコンをクリックすると、
「◇第53会現代詩手帖賞 板垣憲司、野崎有 」
といった新着情報と同列に、
「◇第10回文学極道創造大賞 田中宏輔
(5年連続5回目の創造大賞受賞のため殿堂入り)」
などといった情報を入手することができます。
これは、かつて文学極道(
http://bungoku.jp/)が、ドグマとして持っていた、紙
媒体とウェブ媒体のある種対立構造というものが、あっさり乗り越えられているこ
とを意味します。
紙媒体から側も「ネット詩爆撃計画」といった「ネット詩」に対するある種の
色眼鏡があったわけで、こういった点を踏まえて考えると、隔世の感があります。
こういう動きは、世代が更新されるごとに、進んでいくことでしょう。
逆に、今の若い人たちには、ぼくがここで書いていることの意味はわからないか
もしれない。
と同時に、「文学極道」というサイトは、公共性をより広く持つメディアとして
の責任が出てきたと考えるべきだと思うのですが、まだまだその点、基盤が弱いと
言わざるを得ないでしょう。
ま、ですが、現代詩フォーラムで書かれている優れた詩書きたち。諸君らも、
文学極道“でも”投稿してみては如何でしょうか?
現フォで“だけ”で書いているよりも、
より大きな社会的な可能性に開かれていると、考えてもよいでしょう。
また、はかいしさん、澤あづささんかな?(ぼくはよく知らない人ですが)
「ネット詩の歴史」
http://matome.naver.jp/odai/2143806400877209701
という野心的な企画を纏めておられます。
そこで、この文脈で気になってくるのが、やはり、
文極の創始者ダーザインこと武田聡人のことです。
ぼくは全く彼とは親しくないです。
mailでやりとりしたことがあるくらいですが、
しかし一体彼はいま何をしているのか?
まぁ、変な話。blogを覗いてみるしかないのですが・・(-_-;)
blog「企鵝の会ーえいえんの相の下で―」
http://ameblo.jp/da-3835/
一番最近の痕跡と思われる記述をblogから引用してみたいと思います。
『20150717追記
当たり前だがパーキンソン病がよくなるわけがない。先週も転倒して頬骨を骨折し短期間入院した。病院は転倒を恐れて歩かせないので寝ているよりほかなく、退院後パーキンソンの症状が著しく悪化した。動き辛さ、ただ存在しているだけでさいなまれる全身の苦痛、不快感、、、一日24時間・365日、これから解放されることはほとんどない。生ごみの袋のような体を古くて重い金属の潜水スーツに押し込められ、胸までの泥水が流れる暗渠を行進している。焼き場に向かってだ。心身の痛みを理解し共有してくれる者はいない。私も自信の苦痛に飲み込まれて他を見る余裕皆無だし。』
『』でとじた箇所が引用部です。
パーキンソン病という病名が出てきます。
blogでみられる彼の手記はとても貴重な「資料」ですが、内容がややバカっぽいので
嘘か誠かわからない点もある・・。
しかし、しかしですね。
彼はインターネットと詩を繋いだ、日本の詩会の最大の功績者の一人です。
“詩壇”が彼の窮状をほうっておくとしたら、歴史的な汚点だというほかありません。