もとかれもとかのに捧げる散文詩
梅昆布茶

冷蔵庫の中でしずかになにかが貯蔵されているが
それはけっして常温の空気のなかにはでてこないものかもしれない

陽光のとどかない深いうみのそこで
眼のないいきものたちが生命活動をくりひろげていても
それはぼくらには見えない世界

ぼくたちはある幅をもっていきている
それが相手の幅のどこかとかちりと噛み合ったときに
だれかの一部を理解するのかもしれない

数理では1であっても
きみは1.26385の時や無限のループや
すべてをのみこむ太陽系の母であったりもする

のどかな春の草原に
ピクニックのシートをひろげる
かつて小市民的と評されたパパでも
じゅうぶんいいのではないかとおもうのだ

ただし
陽光も季節も公平に巡ってくるものだが
それを享受できない生命もあることを
そういった仲間がいることも忘れないで

渋谷の道玄坂あたりに
もとかれもとかのフリーマーケットが
出店されるそうだが

もちろんもとかれもとかのが売りに出される訳ではない
おもいでの品を想いを一筆添えてそれぞれの値段をつけて

それを買う客との交流も可能だそうだ
ぼくらはいくども季節や時間や恋人を捨てなければならない

ぼくらは限られた時間の鏡の反射のあいだに光年をいきる
そのあとは絶対零度のせかいの塵となってさいせいするのだろう

ぼくらは協同で生命のうたをうたいつづけて死滅して
また甦ってそれを永遠にくりかえす魂なのかもしれない


       
     
なにかが貯蔵されているが
それはけっしてあなたでもないかもしれない

資本のとどかないくらい夜の都市で
戸籍のないおじさんたちが生命活動をくりひろげていても
戸籍もれはぼくらには見えない世界

ぼくたちはあるあまりをもっていきている
それが相手のあまりのどこかとかちりと噛み合ったときに
だれかの一部を理解するのかもしれない

数理では1であっても
きみは1.26385の時や無限のループや
すべてをのみこむ遊郭の女であったりもする

のどかな秋の麓に
ピクニックのシートをひろげる
かつて小市民的と評されたパパでも
じゅうぶんいいのではないかとおもうのだ

ただし
陽光も季節も公平に巡ってくるものだが
それを享受できない生命もあることを
そういった仲間がいることも忘れないで

渋谷の道玄坂あたりに
もとかれもとかのフリーマーケットが
出店されるそうだが

もちろんもとかれもとかのが売りに出される訳ではない
おもいでの品を想いを一筆添えてそれぞれの値段をつけて

それを買う客との交流も可能だそうだ
ぼくらはいくども季節や時間や恋人を捨てなければならない

ぼくらは限られた時間の鏡の反射のあいだに光年をいきる
そのあとは絶対零度のせかいの塵となってさいせいするのだろう

ぼくらは協同で生命のうたをうたいつづけて死滅して
また甦ってそれを永遠にくりかえす魂なのかもしれない




      
https://youtu.be/W03HlXkuokc

























散文(批評随筆小説等) もとかれもとかのに捧げる散文詩 Copyright 梅昆布茶 2015-08-12 23:39:22
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