わたしに書かせるもの
凍湖(とおこ)
わたしは
ノスタルジーだけでは詩はかけない
安易なイメージだけでは詩にならない
安易なイメージは、現実のなかにはないことが多い
詩を書くときはいつも、おし込めた思いが、わたしを食い破ろうとしているときです。
だから、毎日は、書けません。
ところで
ものを書くときは、一般化させずに、「わたしは」から始めるIメッセージにしようと心がけているのですが、なかなかうまくいきません。
なにかを言うとき、自分の所属するカテゴリーに責任を分担させずに、「わたし」にすべてを引き受けるのは、難しいことです。
そして、わたしもときどき勝手に「われわれ」に入れられて、いつの間にか利用されています。
「わたしは」と「われわれは」の境界線上はどこにあるのでしょう。
「われわれは」のなかに、誰が入り、誰が入れないのでしょうか。
「われわれ」は、どのように分断されているのでしょうか。
集合無意識的な「ふつう」の人びとに「無言のままに、存在をなかったことにされてたまるか」「殺されてなるものか」「誰にも、誰も殺させてたまるか」
直裁に言うと「死んでたまるか」
という怒りと
学びたいという意欲だけが、わたしに気力を与え、前に進ませます。
また話は飛びますが
わたしはセクシャリティの側面でマイノリティですし、何年も治らない病気は抱えていますし、えらいひとの理想像通りには生きていけないのですが
また別のひとからみたら、うらやましくなるくらい「ふつう」に見えるのでしょうね。
そういう人とも、尊厳を認め合って生きていきたいです。
散文(批評随筆小説等)
わたしに書かせるもの
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凍湖(とおこ)
2015-08-07 17:15:18