3度目の
亜樹

 ジョージ、君がいなくなって、今年でもう三度目の夏が訪れようとしています。
 ピンタゾウザメがいなくなったことで起きる弊害は今のところ
 私の生活に訪れてはいません
 
 アインシュタインや夏目漱石のように
 百年生きた君の体は、
 丁寧に丁寧に腑分けされ
 いつかの懐かしい理科室の匂い
 いかにも薬品らしい液体に中に沈められ
 長く長く保存され
 それは人々の暮らしに役立つと言いますが、
 多分私の生活に
 その恩恵が訪れることはないでしょう。

 ジョージ、君は、その人生のほとんどを見世物として過ごしました。
 餓えることなく、生命の危機を感じることなく、60年の年月を過ごした君よ。
 貴方は多分、私のように、不安で寝れぬ夜を過ごしたことはないでしょう。
 痛いほどに鼓動が早まり、大勢の他人の前で、滝のような汗を流したことも。
 狩られ、殺され、美味しく美味しく食べられた、ドードー、リョコウバト、ステラーカイジュウ。
 その狩人たちがもろ手を挙げて叫ぶ動物愛護と自然保護。
 自らの後ろめたさに背を向けて、違う誰かをことさらに糾弾するあの団体が
 私は嫌いでなりません。

 ジョージ、君がいなくなって、三度目の夏です。
 何をどう喚いても、ちょうどよく傾いたまま、大地は止まらず回っています。
 どれだけ時間が過ぎ去っても、もう二度と君には会えない。
 ガラパコス諸島に憧れることは、もうないでしょう

 ああ、ジョージ。ピンタゾウガメとガラパコスゾウガメの違いなんて、きっと君は知らなかった。
 卵が一つも孵らなくても、孤独と、無縁だった、あなた。

 一人ぼっちなのはいつだって、ゲージの外に、いる私。


  

 


自由詩 3度目の Copyright 亜樹 2015-05-29 23:43:00
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