呪縛
nonya


1km四方のプールの真ん中で
溺れたふりをしている男
水深はせいぜい膝小僧くらい
懸命すぎるバタ足で
足の親指の生爪を剥がしたのは
まったくの誤算だった

プールサイドのデッキチェアで
南京豆を食べている誰か
そこから見る男の姿は
退屈なブラウン運動
双眼鏡を手に取る価値もない
まったくの茶番だった

溺れたふりにも飽きた男が
ヌラリと立ち上がった瞬間
プールの水は跡形もなく蒸発して
1km四方の砂漠になった
今度は乾いた喉を掻き毟る男
嫌というほどプールの水を飲んだのにね

オアシスの展望露天風呂で
葡萄酒を飲んでいる誰か
遠くから聞こえる男の声は
執拗なドップラー効果
マイクを差し出す優しさなんて
持ち合わせている必要もないよね

喉を掻き毟るのにも飽きた男が
うっかり蹴飛ばした
フンコロガシの背中を破って
生えてきたのは牛丼屋
男は躊躇なく店に入り
スーパー特盛牛丼のツユダクを注文した

ものすごい偶然を完全武装して
男の横に座っている誰か
溶けたバターのような微笑みで
しきりに繰り返す「おかえり」が
どうやら「おかわりに」聞こえるらしく
闇雲にスーパー特盛牛丼をすすり続ける男

試しに「さよなら」って
冷めたコーヒーのような口調で言ってごらん
これ見よがしに牛丼屋の丸椅子から
転がり落ちた男は性懲りもなく
1km四方のプールの真ん中で
溺れたふりを始めるに決まってるから

本当にこんな奴
早く死ねばいいのに
と呪ってはみるものの
うろ覚えの呪文を書いたメモは
男のパンツに挟まっているのだから
まったく始末に負えない




自由詩 呪縛 Copyright nonya 2015-03-08 12:02:13
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