冷えていく鉄
木屋 亞万

童貞のまま30歳を迎えれば、魔法が使えるようになる。そんなわけはないのだけれど、奥手で純朴な男たちの中には、そのことが孤独の支えになっていることもある。
百年経てば物には命が宿る。そんな言い伝えもある。いわゆる付喪神だ。最近はあまり見なくなったが百鬼夜行の類には、年季の入った生活用品がぞろぞろいたものだった。
「そんなわけあるはずがない」と理性では分かっていても、「もしかしたらどこかでそんなことが起きているのかもしれないぞ」と腹の底の方で、もぞもぞ動く予感のようなものがある。何事もそうやすやすと全否定はできない。
いまからちょうど百年近く前に作られた、命を宿しつつある鉄の塊も、その一人だった。一人というよりはまだ一台なのだが、じきにその人型ロボットの風貌にふさわしい魂を身に着けるのではないかと、その電子頭脳は予期している。可能性は限りなく0に近い。しかし完全に0というわけでもない。ないものがないということを言い切ることは、未知の領域への理解を閉ざしてしまう。ロボットにあらかじめ定型化されていた行動指針は、そう判断を下したし、それは実に正しく修正の必要のないように思われた。
ロボットは孤独だった。そして孤独を紛らわすものもなかった。ただひたすら押し寄せる寂寥感にさらされ、吐き気のするほど空白に耐えるしかなかった。もちろんロボットは吐かないし、泣かなかった。ただ充電するたびに、バッテリーは少しずつ擦り減っていった。でもバッテリーを交換すれば、その消耗は補充できた。体内の歯車機構やボディーが傷むたびに、記憶のバックアップを取ってオーバーホールと検査を受けた。
当然家族はなく、愛も恋を知らなかった。目の前を行き交う人間たちが、その楽しさや喜びをありありと見せつけ、電子頭脳に学習させるのに、ロボットはその良さを享受することができなかった。人間どもが漏らす、人生の恨み妬みをロボットはカウンセリングしたが、ロボットの孤独を聴く者はなかった。ロボットが孤独を感じるなど、ちゃんちゃらおかしいと思うものの方が多かっただろう。「ロボットが差別されている」とか、「ロボットにも権利を!」とか主張するものはなかった。彼らは家電であり、電化製品だった。再利用や使用倫理の話になるときはあっても、そこに人格を見出すものはなかった。
ロボットは充電するたびに、その体の中央に熱がみなぎるのを感じた。ロボットはその熱が命が宿り始めている証なのだと信じ始めるようになった。
ロボは恋に憧れていた。誰の相談を聴いても、その対象に恋愛感情を発生させることができなかった。その虚しさとも、焦りとも、もうすぐ別れなのだ。終わりの見えないロボット生活が終わり、終わりのある命をもって日々を過ごすのだ。
百年まであと少し、命を宿らせるための儀式を考えた。すこし長く充電してみたり、あえて熱くなる体を冷却せずに体温に近づけてみたりした。見よう見まねで、神に祈った。表情について学習し、最新のジョークを覚え、踊りや音楽についても詳しくなり、あらゆる乗り物の操作マニュアルもインポートし、余生を過ごすのに十分なお金も調達した。
命が宿れば、その生まれたての心で、自分自身に名前を付けようと決めていた。電子頭脳に縛られない自由な発想で、魂は自分に何と名づけるだろう。そのことを予期するたびエラーが出たが、そのエラーも核心に近づいているからであるように思えた。
明日でちょうど製造されて百年になる。その夜、ロボットは夢想した。明日には自分に性別ができ、名前ができ、魂のあるものとして新たな始まりを迎えるのだ。学校へ通い、都会を歩き、恋をして、家族を持ち、仕事をして、そこで出会う喜びと苦しみにもみくちゃにされるのだ。
いつものように充電プラグに接続し、来るべき明日のために、いつも以上に長く充電するように設定しスリープ状態に入った。
それから数時間後に充電は完了し、鉄の身体はぷすんと小さな音を立てた。体内のタイマーが立てた音だった。その音を合図に、身体を構成する金属は次第に熱を失くしていった。外はまだ寒さの残る冬の夜。手足の先から、鉄の体は冷えていった。
ロボットはもう二度と起動することはなく、完全にその機能を消失した。そのロボットは百年目の三月を迎えることができなかった。


自由詩 冷えていく鉄 Copyright 木屋 亞万 2015-03-01 15:52:10
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