当然のこと
はるな

飛ぶときに必要なものがあるとすれば決心ではなくて、飛んでいる「当然」なのだと思う。決心なんて、どれほどもろくて役に立たない(でもそれなりに美しい)だろう。
娘が壁に手を置いて、しゃんと背をのばし立つようになった。それをみてわたしは、彼女の決心よりも、やっぱり当然を感じます。彼女は立つことの当然を獲得しました。目にすることが難しくても、そのさかい目ははっきりと存在する。わたしたちはいつも、“それ以前”と“それ以後”をぼんやりと確認するだけだけれど。
娘の、
爪はペーパーナイフみたいにうすくて美しい。まったくどこもかしこもぴかぴか光って、こんなふうに人間が光るなんて想像もしていなかった。水も光も影もはじいて、つるりと透きとおって光っている。わたしは、そのために光に関する文章をいくつも思います。この鋭利な羽みたいにきれいな爪が、やわらかい肌をじぐざぐに引掻いてしまうのもかなしく、可愛らしい。だんだんと手足の大きさを理解して思うように使えるようになってきたために傷が減ってきたのを、夫は喜ばしく思い、わたしはもっとほかの気持ちも感じている。
こんなふうにまるまると大きくなっていく娘を撫でていても、やっぱりわたしには母親という感慨がわいてこないことも不思議で、いつになったらわたしはわたしになるのだろう。目のまえを、美しく、おそろしく、不思議なものやことや人が行き来してゆき、夫も娘もそのひとりだと思うと、やはりもっと遠くを考えなければならないと思います。相互関係しなければならない。淀んだ水をいつでも恐れるべきだ。(ワイン樽は清潔に保たれているか?)
(けれども)
「当然」をわたしも獲得しなければならない。この力強い娘のように、あるいはわたしに付き合ってくれる夫のように。二人の力強さは似ている。まの抜けた寝顔も。ななめに射す朝日にうんうんとむずがりながら寝返りをうつさまも。でも、そのすべてがいちいち愛しくて、これを当然と思うのはわたしには余りあると感じてしまいます。


散文(批評随筆小説等) 当然のこと Copyright はるな 2015-01-19 10:47:07
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