シャドウ ウィックフェロー

塒と書いて「ねぐら」とよむ
人には塒が必要だろう
その場所で朝と夜を重ねるうち
いつしかそこが自分にとっての塒になる


住めば都というけれど
いろんなものがなじんで
しっくりとくるには時間がいる
見なれた顔に迎えられて
気をつかわなくていい時間が流れて
やがてそこに情報量ゼロで
違和感ゼロの状態が生まれる
そんな感じだろうか


君が正月に東京から帰ってきて
久しぶりに入ったお風呂場で
その汚れに声をあげたとき
君の塒はもうここにはないと思い知らされた


何もかもを他人の目で眺めて
かつて入りなれた場所を汚いと思うのも
それは仕方のないことさ
すぎた時間が君の塒を東京へと
変えてしまったんだ


人は様々なものになじんで生きる
故郷だとか親だとか家だとか
その中でも一番になじんでいるのは
たぶん自分というものだろう


誰もが自分を情報量ゼロで
違和感ゼロにして生きている
目覚めるたびに自分を確かめたり疑ったりしていては
毎日を生きてはいけないから


それを悪いとはいわないし
常に違和感をもてというのでもなく
誰もがそうしていることを
自分もそうしていることを
ただ分かっていてほしい


そういうものとして人を許し
感じた汚さを許し
そして自分を許すために




自由詩Copyright シャドウ ウィックフェロー 2015-01-16 22:44:12
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