「従軍慰安婦」と「挺身隊」──────朝日「第三者委員会報告書」に寄せて
Giton

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以下において、私が書こうとしているのは、2つの言葉の来歴と、それにまつわる私の個人的体験である。

本稿は、上記「報告書」の当不当について論ずるものではなく、朝日新聞の報道や、報道の対象になった問題について論ずるものでもない。したがって、そこにいかなる政治的方向性も読み取っていただきたくない。これを最初にお断りしておく。

また、コメント等に対して回答しないことを予め申し上げておく。


1 ここで取り扱う事項について

「第三者委員会報告書」(以下、「報告書」。引用は、朝日新聞掲載の「要約版」による)が、きのうの朝日、読売などの紙面を賑わせている。

a 「報告書」は、1991年8月11日付記事(元慰安婦・金学順さんの証言テープの内容を報道したもの。元慰安婦証言の最初の記事)に付された用語説明:

「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」

は不正確であり、?女子挺身隊の名で、?連行された──は、いずれも金学順にはあてはまらないのに(金学順は?「挺身隊」なる名称ではなく、?事実は、騙されて連れて行かれた)、

「『女子挺身隊』と『連行』という言葉の持つ一般的なイメージから、強制的に連行されたという印象を与えるもので〔…〕読者の誤解を招くものである。」

としている。

b 1992年1月11日付記事(吉見教授が発見した・慰安婦に対する軍の関与を示す公文書資料を報道するもの)に付された「従軍慰安婦」の用語解説にも:

「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を『挺身隊』の名で強制連行した。」

とあって、

「不正確である点は、読者の誤解を招くものであった。」そして、この記事によって、朝日新聞が宮沢「首相訪韓の時期を意識し、慰安婦問題が政治的課題となるよう企図したことは明らか」だとする。

2 「報告書」の評価について

 a については、証言者の証言した体験と、記事の見出し、ないし説明が、食い違っていたことは、たしかにそのとおりだろう。

 ただ、社会的影響ということで言えば、当時(記事の掲載された1991年8月から、金学順が来日・証言した12月まで)世論が沸騰したのは、あくまでも彼女の証言に対してであって、「強制連行」という見出しに対してでも、「挺身隊」なる名称に対してでもなかった。
 そして、見出し等は不正確でも(これは、記者の書いた記事に対して、デスクが書き加えたもののようである)、証言記事自体は正確であった。

 b については、一般的歴史事実として、?主として朝鮮人女性を ?『挺身隊』の名で ?強制連行した──という記載が誤りか否かが問題となる。

   ?について、「報告書」は、「主として朝鮮人女性」と断定するのは不適切だとする向きであるが、疑問が多い。むしろ、慰安婦は「主として朝鮮人女性」であったことは、元日本兵証言の多くや、米軍の聴取報告書から強く推定される。「報告書」は、この点については調査不備と思われる。また、台湾人、フィリピン人、インドネシア人などの慰安婦の存在が判明したのは、問題の記事よりも後の時期においてである。

   ?『挺身隊』の名で──については、「報告書」は、「女子挺身隊」と「慰安婦」は、まったく別個の存在であるとして、そこから直ちに、「用語解説」は誤りであるとする。しかし、「女子挺身隊」(性的奉仕ではなく工場労働などに動員された女子の隊)と偽って募集され、慰安婦にされた女性が存在するならば、「『挺身隊』の名で」は、ある場合には真実であったと言わなければならない。そして、「女子勤労挺身隊」であるとして騙されて慰安婦にされたと証言する女性が、相当数存在するのは事実なのである。「報告書」は、この点の探究を欠いている。

   ?「強制連行した」という表現が、一般的日本語として何を意味するかは難しい。そもそも「連行」とは、日本語では、単に「連れて行く」ことではなく、強制的に連れて行くこと、なかんづく「逮捕連行」を意味するであろう。警察官による「任意同行」(必ずしも任意ではないのであるが)を「連行」とは言わない。しかし、韓国語で証言したり論述したりする場合、彼らは「テヨガッタ」(連れて行った)と言う。こうした文脈で、「ヨンヘン(連行)」の語は、決して使われない。「テヨガッタ」という語は、“連れて行かれる者”の意思によってではない(意思に反してとまでは言えなくとも)、という程度の軽い“強制”から、文字どおりの逮捕連行までを幅広く含むニュアンスと思われるのである。
    そもそも、記事を書いた記者は、「強制連行」という語に、どんなイメージを持って、この語を使ったのであろうか?なるほど、もし仮に、指示すべき内容が曖昧であるのに、語感の迫力だけを目安に、この語が使用されたのだとしたら無責任である。
    しかし、「報告書」の文脈と負うべき課題に即するかぎり、ここでは、吉見教授の発見を報ずる記事との関係で考えなければならない。吉見教授の発見した文書は、慰安婦の輸送に関するものであった。そこでは、慰安婦は物資の輸送と同様に扱われていたのであり、拘束具、戒具等が使用された痕跡はない(もちろん、使用されていないと断ずることもできないが)。したがって、「広義の強制」(狭義の強制かどうかが不明であるという意味で)に該当するケースである。
    とすれば、この記事に関する限り、記者は、広義の意味で「強制連行」の語を使用していたと考えなければならない。用語説明と記事内容を照らし合わせれば、読者は、「広義の強制」にあたる内容を読み取ることになるからである。
    ところが、「報告書」は、用語説明の「強制連行」を「狭義の強制」と読み取っており、他の読みの可能性を検討していない点で著しく失当であり、誤りを犯しているといわなければならない。(注)
    この誤りは、「報告書」全体の結論の妥当性に疑問を投ずるものである。

(注)もっとも、「報告書」が、この用語説明について、「読者の誤解を招く」との曖昧な表現で批判しているのは、上述の問題を考慮したためとも考えられる。しかし、それならば、“用語説明は、この記事に関する限り、不適当であったとまでは言えない”と結論すべきであった。

    もっとも、この記事及び朝日新聞を離れて言えば、「強制連行」という語(注)は、この前後の時期から内容不明確のまま広い範囲で使用されるようになり、言葉が実体を離れて一人歩きするようになったと言えるだろう。

(注)この分野での「強制連行」の最初の使用例は、おそらく朴慶植の著書の題名『朝鮮人強制連行の記録』であろう。しかし、朴慶植は、この著書の中で、「強制連行」のさまざまな形態について具体的かつ詳細に述べているのであり、その限りで、この使用は正当であったといえる。

   「報告書」は、「狭義の強制」があったか無かったか──を最重要論点とする一部研究者の見解を踏襲しているようである。しかし、上で見たような内容きわめて曖昧な「強制連行」なる語が一人歩きして、論者によって(あるいは、同じ論者でも、時と都合しだいで)広狭その他いかようにも内容を盛り込まれてしまう語として存在する社会的実態を踏まえないで議論すれば、恣意的結論にのみ至ることとなるであろう。

   「報告書」は、1980年代において、吉田清治証言(暴力的な“慰安婦狩り”を自ら行なったとする証言)を報道していた朝日が、吉田証言の信憑性が危うくなると、一転して「広義の強制」(金学順のようなケースを含む)を主張するのは、問題のすりかえであると言う。この「問題のすり替え」という結論も、結果的には、上記の一部研究者見解を踏襲するものである。

   もし、当初、吉田証言によって、「狭義の強制」のみを報道していた朝日が、その証言が危うくなるや、一転して「広義の強制」を主張し始めた──という事実があるのであれば、たしかに朝日は「問題のすり替え」をしたのであり、「報告書」の結論は正しい。
   しかし、じっさいには、──「報告書」も認めるように──その中間で、「広義の強制」にあたる金学順証言を報道している事実がある。朝日のN記者(当時)、挺身隊問題対策協議会、太平洋戦争遺族会、及び秦らが済州島の現地調査を始めたのは、それよりも後である。とすれば、朝日新聞が「問題のすり替え」をしたと断ずるのは疑問がある。

   のみならず、より大きな問題は、「すりかえ」があったかどうかよりも、当初の1980年代の報道において、センセーショナルな内容の吉田証言のみが報道されて、のちに「広義の強制」とされるような実態、あるいは、「強制」とさえ言えないような実態が、まったく触れられなかった(「報告書」によれば、そうである)ことにあるのではないか?
   なぜなら、「報告書」にもあるように、「従軍慰安婦」が存在したという歴史的事実については、すでに1970年代から千田夏光の記事・著作によって明らかにされていたからである。それにもかかわらず、(朝日だけではないが)新聞・マスコミは、それについてはいっさい沈黙し、ただ、吉田証言だけが、内容のセンセーショナルゆえに、新聞紙上に浮上した──この実態こそが、問題の根源にあるのではないか。

3 「挺身隊」でも「慰安婦」でもなかった。

 そもそも、現在わたしたちが「慰安婦」と呼んでいる女性たちは、太平洋戦争中に、「挺身隊」と呼ばれたことも「慰安婦」と呼ばれたこともなかった(注)

(注)一部の軍関係者の間では「慰安所」という語が使用され、「慰安所規定」といった戦時文書も存在する。しかし、当時の一般的呼称としては「慰安所」「慰安婦」は存在しなかった。というよりも、彼女らの存在を認める視点がなかったと言うべきであろう。千田氏が生涯述べ続けられたのは、そのことである。

 彼らには、名前など無かったのだ‥

 私は、この問題が大きくなる以前に、当時まだ生きておられた千田夏光氏に何度かお会いした。当時、私の職場が墨田区で、千田宅に近かったからである。

 千田氏が、女性達の存在に気づいたのは、中国戦線の戦場における一枚の写真からであった。

 川を渡渉している部隊のうしろで、裾をからげて裸足で川を渡ろうとする若い女たちを撮した写真であった。

 戦場に「女がいる」ことに驚いた千田氏が尋ねると、この写真を示した知人は、にやにや笑いながら、

  「それはピーだ、朝鮮ピーだ」

と言ったのだという。

この写真の光景が脳裏に焼きついた千田氏は、謎を解明すべく、元慰安婦(もちろん、まだ「慰安婦」という語は存在しない)の女性を探して探索を続けたが、関係者の口は堅かった。
ようやく1970年ころに、体験を語る女性(日本人)に出会って、その証言を記事・著作にしたのだという。

その際、千田氏は、彼らに名前をつけなければならないと感じた。彼らを指称する語がなければ、彼らの存在を世間に認めさせることはできない。

そこで、「従軍慰安婦」という語を発案した。

こうして、実体を一般的に指す言葉として「従軍慰安婦」ないし「慰安婦」の語が発生したのは、1970年のことである。(その最初の記事が週刊新潮に掲載されたのは、歴史の皮肉というものであろう。)

これに対して、「女子挺身隊」は、どうか?この語自体は、戦争中からあった(注)

(注)もっとも、戦争中、日本で広く知られていた「勤労挺身隊」とは、日本人及び朝鮮人の男子を隊員とするものであった。

「報告書」は、あたかも朝日新聞の報道が、「挺身隊」と「慰安婦」を混同させたかのように述べているが、朝日の見出し記事、用語解説などにおける“誤用”のソースは何なのであろうか?
それまで、日本では知られていなかった「女子挺身隊」という語を、朝日の記者が勝手に頭の中で考え出して記事を書くとは思えないからである。

千田夏光にも、吉田清治にも、「挺身隊」なる語は見出せないのである。

私は、おそらく、この混用は、相当早い段階で(おそらく戦後まもなくから)朝鮮半島で生じていたものではないかと思う。

「慰安婦」に関して、日本では、戦後、関係者は固く口を閉ざしたのであるが、朝鮮半島では、戦後日本におけるほど厳重に口を閉ざす理由は無かったと思われる。(ただ、日本軍の「慰安婦」であったことが露見すれば、親日分子と見なされることから、元慰安婦自身は沈黙を続けたのであるが)

しかし、その〈慰安婦〉なる実体には、名前が無かった。

そこで、類似の実体を指す「女子挺身隊」の語が混用されることになったのではないか。(そこには、「女子挺身隊」であると偽って慰安婦を募集した一部の事実関係も、混用の原因となったかもしれない)

ともかく、韓国において、相当早くから、「挺身隊」が〈慰安婦〉を指す名称として使用されていたことは、「挺身隊問題対策協議会」という韓国の運動団体の名称が、これを明らかに物語っている。

それでは、そうした韓国での「挺身隊」という語の使用が、いかなる経路によって、朝日の記事での混用を招いたのか?

「報告書」は、この点を追究していない(なぜなら、混用を、朝日の責任として非難する意図があるから)が、私は、そこには、この実体をもっぱら「挺身隊」と呼ぶ韓国の報道・世論に対する困惑と配慮があるように思う。なぜなら、当時韓国語には「慰安婦」という言葉は存在しなかったからである。

こうした配慮の結果書かれた「『挺身隊』の名で」という“一種曖昧な”表現の当否については、本稿の範囲を超えるので、私はここで筆をおきたいと思う。

私が注意を喚起したいのは、2つの語の“もつれ”が生じさせたエアポケットの存在である。

なお、私は、生前の吉田清治氏にもお目にかかっているが、その体験については、いつか機会があれば書きたいと思う。
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散文(批評随筆小説等) 「従軍慰安婦」と「挺身隊」──────朝日「第三者委員会報告書」に寄せて Copyright Giton 2014-12-24 02:18:13
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