Giton

ぼくの手には枯れた花束が握られている
ドライフラワーと言うにはあまりにも古びて褐色に焼け
死滅の象徴のように脆く硬く固結して動かない
重さのないその花束を捧げぼくは丘に立ちつくす
過去を懐かしむわけではないが未来を歓び迎えるわけでもなく
ただ見下ろすように遥かを望む

その坂にはかつては森があり
ぼくらが小学生のころは古い大きな常緑樹がたくさんあって
冬でもぶあつい硬い葉を木枯らしの中でざわざわと鳴らしていたし
草ぼうぼうで級友は怖がって踏み込もうともしなかった
けれどもぼくは背が低かったしいつも優等生を演じながら
ひそかに禁令箇条を破ることを楽しみにしていたので
学校からひとりで帰るときにはいつも
錆びた金網にできた小さな穴をくぐって楽園に入り込んだ
人が歩かなくなった荒れた坂道の中途には
かつて噴水だった緑色のコンクリートの残骸と
子供の塑像がひとつだけぽつんと残されていて
それは古くて片腕がもげているのに
まっすぐに跳び出したちんこときんたまは
造られたばかりのように真新しくあでやかで
滴り落ちる樹々のしずくに洗われきらきらと光った
ぼくは学校が退けるとその子供の像に寄り添い
すこし濡れた陶製のちんこをなでては
自分の指の匂いを嗅ぎ
木漏れ日が傾くまで落ち葉に身体をひたした
晴れた日には授業のあいだも胸をときめかせ
昼休みには屋上から森のほうを眺め
六時限が終ると級友たちが帰り始める前に校舎を飛び出した
親しい友人と帰らなければならない日など
翌日はずっと森のほうが気になっていたのだった

そうしたある日、坂の上の朽ち果てた瀟洒な家に
人が移って住み始めた気配がしるくあり
水色と白の真新しいペンキの匂いがした
何日かすると、ヨーロッパの片隅の小さな国の大使だという金髪の紳士と
白い肌の男の子が学校に姿を見せた。その子を見たとき
あの坂の途中にいる子供だということをぼくはすぐに見破ったのだが
級友は誰も知らない場所でありぼくだけの秘密だったからぼくは黙っていた
男の子は片言の日本語を話し、校庭に整列したぼくら全校生徒の前で
父親の挨拶を通訳した、そのとき彼が片腕を怪我したように吊っているのを
ぼくは見逃さなかったのだ

そのあとぼくだけが校長室に呼ばれた、そのいちばん奥に
金髪の大使とその子供が座っていて、彼らがぼくを呼んだのだと
人の良い校長が言う。こんど公邸にいらっしゃいとおっしゃっています
きみは公邸の場所をご存知ですね。こちらのお子さんがね、
君を近くで見かけたとおっしゃっているんだよ
何も知らないお人好しの校長は顔をほころばせ、ぼくを覗くようにして言った
近くで見ると子供は青い目をして
それはまばたきもせずにじっとぼくを見ていた
ほんとうに彼らが迎えてくれるのだろうかと疑うほど
まるで石像のように彼らはそっけなかったのだ

その放課後森へ行ってみると案のじょう
壊れた噴水の畔で塑像だけがなくなっていた
ぼくは水のない噴水のふちに腰をかけて所在無くしていた
上にある水色の木の建物を訪ねる考えは最初からなかった

草むらが動くので目を凝らすと
あの青い目の子供がしゃがんだ姿勢でこちらを振り向いた
彼はなにも着けていなかった
裸の背筋から尻の線が妙に白かった
細い腕は二本満足にあり
傷ついてもいなかった
彼はまた向き直って草むらの中でなにかを探すようだった
ぼくは近づいて行った
手はしぜんにシャツのボタンを外していた

その日からぼくはしばらく森へ行かなかった
校長が朝礼で、このあいだいらした大使はご都合で
家族ともどもお国に帰られたと告げた
行ってみると家は真新しく塗られたまま施錠され
少年像は無くなったままだった
ぼくは草むらの中でむなしく彼の匂いを探した

それから長い時間が経って、住民が減ったために小学校は廃校になり
校舎の跡は整地され、同窓会の便りも来なくなった
ある日坂の上を通りかかると、森はなくなって白い高いビルディングが
立ち並んでいた。駅から通じる地下街もあり人はおおぜいいたが
興味を惹くものは何もなかった

それからまたずっと時間が経ち、今はビルディングも坂もなくなり
駅を出れば、遠くの下のほうには渚がどこまでもつづいているばかり
潮は薄く流れ込み、また干上がり、そこには水鳥もすなどる人も見えない
ただ陽が射したり雨が降ったり、そのたびに浜は濡れ、また乾き
ぼくの立っている舗道と、その遥かな沙浜とのあいだには
もう地面さえなく、大地は無残に途切れて下が覗き見えるようなのだ
覗き見えるようだといっても、覗いて見たことはなく
透かして何かが見えるわけでもないのだが

ぼくの手には枯れた花束が握られている
根着くことなき植物体がまた芽を吹くものかどうか
知ることさえできず花束を握りぼくは丘の上に立ちつくす
なぜそうしているのかといきなり誰かに訊かれたとしても
ただこうしているのがここちよいからだと述べるほか
ぼくにはなにも答えるすべさえいまはないというのに


自由詩Copyright Giton 2014-10-25 08:30:44
notebook Home 戻る  過去 未来