人間の完成
まーつん

 私たちが
 自分を創り終えるのは
 いつなのだろう

 たとえば、
 どこかの建物の一室で
 最後の息を一つ吸い
 そして、吐き

 その胸の鼓動が
 ついに沈黙する時
 あなたはなにを
 やり遂げるのだろう

 肉体は生まれ、育ち
 やがて散っていく

 吹き込まれた息を
 いつまでも、永遠に
 離さない風船は無く

 人の若さも、少しずつ
 その身体から漏れ出ていく

 限りある命の
 傷つき易さを知った時
 あなたは恐れを手に入れた

 そう、
 どんな大人も、一皮剥けば
 かつては肌を刺す外気に怯えて
 火が付いたように泣く
 赤ん坊だった

 そんな私たちの頭上で
 時計の針は回り出し

 その文字盤の目盛り一つ一つに
 盛りつけられた豊かな時間を
 永遠に等しい一瞬の集積を
 少年や、少女となった
 あなたは生きた

 雨上がりの木の葉から
 一つ、また一つと
 滴り落ちる雫が
 伸び盛りの下生えを育む

 あなたにとっては
 大きな遊び場だった筈の
 この世界が

 同じコースを回り続ける
 競技トラックに変わったのは
 いつの頃からだったろう

 掴んでいた
 玩具を投げ捨て
 何かを追い始めた時
 初めての疲れを味わい

 微笑みを返さない顔に
 出会ったあなたは
 気持ちを隠す術を知り
 無情の仮面を手に入れた

 内と外、感情と体裁
 乖離する自己は
 二つに引き裂かれ
 その耐え難い痛みに
 あなたは反発し、抵抗した

 周りの人々に牙を剥き
 振り回す剣で威嚇し
 切っ先が破いた
 見せかけの垂れ幕

 そこに描かれた
 平和な世界は
 子供騙しの絵に過ぎず

 我に返ったあなたは
 幕の向こうを覗き込み
 物事の有りのままを見た
 綺麗事では済まない、現実を

 そして、
 深く息を吸い込むと
 影斜め射す大人の国へと
 足を踏み入れていった

 そこから先を
 私は知らない

 今はまだ

 私たちは、なぜ
 生きていくのだろう
 こんなに苦しい思いをして

 若き日に燃やした
 情熱の残り火を
 胸元に抱いて

 闇の向こうに
 隠された手がかりを
 時節、照らし出しながら
 出口を求めてさまよう

 今の私も、その一人
 そしてどこかに
 あなたがいる

 私たちを隔てるこの闇を
 永遠に払ってくれる
 そんな光は、ないのだろうか

 懐旧は一時の慰め、
 悦楽は総ての穴を埋めはせず
 人はもっと永続的な輝きを探して
 神の門を叩き、科学の生末を見守ってきた

 そして
 背後から響く
 死の足音に怯え
 ある者は耳を塞ぎ
 ある者は耳を澄ませ

 生に満ち足りる者ほど
 還ってそれを冷静に見つめ
 残された時を、懸命に生きた

 生を浪費する者ほど
 不思議にそれを恐れて逃げ
 度々躓いては、生傷を負った

 死への恐れを通じて
 私たちは、誰かの痛みを
 我がものとすることを学び
 それを、共感と呼んだ

 そうしてあなたの手は
 どれだけ多くの人の
 見えない傷を癒したろうか

 あるいは己が内に
 優しさを求めながら
 見つからず悶々として

 時々襲ってくる空しさに
 生きる意味を問われ続けて
 もどかしさに我を忘れて

 そうしてあなたの声は
 どれだけ多くの人に
 見えない傷を残したろうか

 誰かの胸に飛び込もうと
 崖を這いあがり、谷を駆け下って
 どれだけ多くの汗を、流したろうか

 そうして

 誰かの素肌に手が届いても
 心にはなお隔たりがあり
 絡み合う二つの体と
 お互いの本当を
 映さない瞳が

 寂しい涙があった

 私たちは皆
 一滴の雫だ

 それぞれが
 雨の一粒となって
 厚い雲から吐き出され
 海の懐へと落ちていく

 その孤独に震えて

 宙に留まろうと
 あがき、しかし否応なく
 着水して、波紋を広げてゆく
 そして、海とひとつになる
 多分、それが生であり
 死なのだろう

 波立ちは一瞬
 気が付けば、
 あなたはいない

 でも、その瞬間の
 なんと豊かな
 永遠だったことだろう

 涙も汗も閉じ込めた
 雫がひとつ、跡形もなく
 水面にほどけて

 それでも
 海は穏やかなまま
 何もなかったかの様に


 あなたがいつか
 去る時がきても

 私はもう、
 泣きはしない

 己を抱きしめ、
 空を見上げ
 この身を雨に
 濡らすだけ

 あなたという
 命の雨で
 濡らすだけ

 その恵みが
 育む何かを
 信じながら

 瞼を閉じれば、
 大地を埋め尽くしていく
 新しい緑が見える

 今、この瞬間にも
 どこかで誰かが
 死んでいく

 遠い何処かで
 身近な場所で

 わたしはまた
 さよならの手を振る
 もう一人の、゛あなた゛に


 さようなら


 その身体が
 包んでいた命は、
 今、記憶となって
 あなたを知る総ての人々の
 心に溶け、一つとなった

 広げた包みから
 溢れ出る光よ

 あなたは、
 この世界からの
 贈り物だった

 それを
 私たちは
 ついに、


 受け取ったのだ







自由詩 人間の完成 Copyright まーつん 2014-10-06 18:43:47
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