はるかな個人
乾 加津也

その時、理由(いわれ)のない衝撃に狂うわたしのために
あらゆる風景が恐怖の紐で吊るされていた
だが、わたしは風景の風景たらしめる骨格なのだ

わたしの印象なら壁にそってどこまでも落ちていった
わたしの背後にはたしかな一人の“声”があるばかり

“また、歩きださなければならない”
わたしがわたし自身であることの一欠片(ひとかけら)の証しもない
硬くあることで不明瞭な塔の影から抜けだす

夢中でしがみついたものが砂の縄だった
風の吹きすぎる妨げでしかない
苦笑していると一日が失われている

ライフとどんぐりは秤で水平につりあう
天気が毎日少しずつ変化してゆく
わたしが慎重な頬で恋人と語り合っているあいだに

わたしによく似た人たちがわたしに向かって嘆く
“存在(われわれ)は緻密な螺子で留められた黒い巣箱のようだ”

理由のない衝撃がわたしを摩耗した風景に陥れるのは
そのいびつな洞窟のような
じかん

向こう岸へ渡るわたしはあなたの瞳で難破する
振り子の真似のあなたがわたしの肋骨に下がったまま震えている
――だが、わたしは風景の風景たらしめる骨格なのだ
わたしたちはお互いの入り口を間違えてばかりいるのか
“わたしたち”は“わたし”より偉大か?

わたしの前面にはたしかな一人の“声”があるばかり
“また、歩きださなければならない”
わたしがわたし自身であることの一欠片の証しもないまま
(わたしがわたしの名をもつわたしとかつて一度も巡り遭ったことのないまま)
わたしは依然わたしの風景だけを構築することだろう
声の外で
永く立ち止まることはできない


自由詩 はるかな個人 Copyright 乾 加津也 2014-06-09 20:26:07
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