頼りないショパン 不器用なベートーベン
夏美かをる

目を瞑って鍵盤にそっと乗せるだけで
軽やかに舞い始める私の十本の指
やがて目の前にお洒落なショパンが現れて
揺れる私の肩をそっと抱いてくれる





「お母さん、私ピアノを習ってみたい」
五歳の私の唐突なリクエストに応え
早速母は近所の教室を見つけてきてくれた

だけどそこの女教師は
小さな私の指を叩く 叩く 叩く
違う、違う、違うと言いながら

この音楽が終わったらピアノ教室に行く時間―
3時のワイドショーのテーマ音楽が聞こえてくると
私は息苦しさを覚えるようになった
                      
ある日 私はついに告白した
「もうピアノ教室に行きたくない」
だけど母は聞こえなかったのか、
何も言わずに私の手を引いて 
馴染みの商店街をぐんぐん歩いて行った
そして 教室に着くと
いつものように買い物にはいかず
隅の椅子にそっと腰掛けた
緊張してますます動かなくなった私の指
なのに 初めて叩かれなかった

やがてお帰りの歌がやっと終わって
先生にお礼を言うために立ちあがった時
母のよく通る声が突然教室に響いた
「先生、お世話になりました。
 この子が辞めたいと言っているので
 今日で最後にします」

一瞬呆気にとられた後
その教師は白々しく言った
「あら、残念ね〜。
 この子は才能があると思ったのに」
私のお洒落なショパン様の夢を
惜しげもなく踏みつぶしておいて…

それ以来私はピアノを弾いていない





九歳の私の娘はピアノを習いたいなど
一度も言ったことがなかった

だけど作業療法士の先生に勧められた
二か月悩んだ後 メモに書かれた七桁の番号を押した

「あの、うちの娘はこういう子なんですけど…」
背中に汗を一杯かきながら説明する私に その先生は
「とにかく連れてきてみて下さい」
と それだけ言った





あれから一年
未だ全部一緒に動いてしまう娘の指が
ポロリ、ポロリと奏でる
『歓びの歌』

それでも先生が
娘にも聞こえる大きな声で話し掛けてくる
「あなた、知ってた?
 この子は天才よ。
 あなたは神童を生んだのよ」
 




私は再び夢を見る
ショパンがふわりと現れて 
疲れた私に優しく囁いてくれる
けれどもそれは
なんとも たどたどしく頼りないショパン
それでも
限りなく優しいショパン
愛して止まぬ 私だけのショパン様

ああ、この際恋人は
三歩歩けば転んでしまう思い切り不器用なベートーベン様でも
一向に構わないのだけどね!


自由詩 頼りないショパン 不器用なベートーベン Copyright 夏美かをる 2014-04-09 14:12:59縦
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