【HHM2参加作品】絶対的矛盾としての馬野幹について
大覚アキラ

 詩を書くという行為が、自分の中ですでに終わってしまっているんだということに、ぼくは数年前から薄々気づいていた。(作品に対する他者評価はさておき)キーボードに向かえば、頭で考えるまでもなく指先から勝手に詩が生まれていた頃に比べると、さっぱり書けなくなってしまっていたからだ。
 そもそも“書ける/書けない”という軸で、詩を捉えてしまっている時点で、もう終わってしまっているんだろう。

 恐らく本質的に詩というものは、書こうとして書くものでもなければ、書けるから書くのでもない。詩を書こうとして書いた詩は、それがどれほど詩的であったとしても、詩“的”なものでしかない。限りなくnearlyであっても、決してabsolutelyではない。
 究極は、「書いてしまったものが詩だった」というぐらい無自覚な地平の上に唐突に成立してしまう、どこかしら犯罪的な匂いさえ感じる行為。それが詩を書くということだと、ぼくは思っている。

 詩を書いてしまう人間には、大別して二種類いると思っている。
 何かが極端に過剰な人間と、何かが極端に欠落している人間だ。

 前者は、身体に纏った分厚い脂肪を鉋で削り取るように、あるいは、胃に収まり切らなかった吐瀉物を永遠に吐きだし続けるように、そうやって言葉を解き放ち続けている。
 後者は、地球の真ん中まで開いている大穴にカレースプーンで土を投げ込むように、あるいは存在しない背中の翼を思念の力で具現化しようとするように、そうやって言葉を紡ぎ続けている。

 この、一見相反するように思える二者を悠々と股にかけ、圧倒的な矛盾を内包しながらその境界線上で軽やかにステップを踏む男がいる。

 馬野幹だ。
 


 若く情熱があり頭の回転の早い人たちは、はやく自分が何者であるかを定義したがる
 早く世界に出て自分の態度を説明しようとする
 どれだけ自分が一人前であるのかを社会に認めてもらおうとしている
 分かる、
 君のハートが燃えているのはわかるから落ち着け
 何者でもない時にどこまで広げられるかにかかっているんだ
 もっと矛盾しろ
 脳は後から君に追いつく
 正反対にあるものを愛せ
 こころの変容を
 きみが可能性だ



 書を捨ててマントルへ旅立て
 毎日違う女の子に告白して大切な人を失って号泣しろ
 んで次の日から男の子に告白しはじめろ
 一人も人間がいない地球で太陽と対決しろ
 地球できみ一人になったら本当に太陽は喋りだすぞ!
 あれはただ回転している燃えた馬鹿じゃない
 臆するな
 キスしてやれ
 すべてのおもい出が一度に訪れてきみはとめどなくなみだあふれて
 乾いた大地から草木がはえ
 鳥たちはおおぞらを飛び交い
 ニモは海賊船のなかで恋に落ち
 やがてせかいはきみのようになる



 一読して、ぶん殴られるぐらいの強烈さだ。一番ぎらぎらしていた頃の吉増剛三でさえ、裸足で逃げ出すぐらいの強烈さがある。「マントル」が、マンショントルコのマントルでも、マントル対流のマントルでも、そんなものはもはやどちらでもいい。この作品に限らず、馬野幹の書くものの殆どは、まさに「書いてしまったものが詩だった」という、それだ。

 人間は生きていく上で、矛盾を解消したり、矛盾を乗り越えることに腐心し続ける。それこそが、あたかも人生の目的であるかのような錯覚さえ抱きがちだ。そして、多くの場合、その矛盾から目を背けて生きることで、自分のテリトリーを守ろうとする。
 だが、「もっと矛盾しろ」、そう馬野幹は言う。矛盾を内包している、もしくは矛盾そのものである馬野幹の言葉だからこそ、突き刺さる強さがある。読み手の人間としての立ち位置に向けての、強烈な問いだ。

 突き詰めれば、技術とかレトリックとか、そういうものでどうにかなってしまうものは、どこまでいっても詩“的”なものであって、純粋にソリッドな詩そのものではない。結局、詩は努力した結果、書けるものなどでは、決してないのだ。馬野幹のような、存在そのものが詩である人間を前にして、ぼくたち凡人が太刀打ちできるはずがない。



 だからオマエラ言えよ!
 わからないって言えよ!
 格好つけて人殺してんじゃねーよ!
 わからないって言え! 私はわからないと! 
 僕は本当は知らないと! 分からないです! わからないって言ってみろ!このクズ共!ネクタイ緩めてんじゃねーんだよこの野郎!
 逆に締めすぎてんじゃねーんだよこの野郎!
 分からないっていってみろ! 私はわからないですって言ってみろ!
 俺の詩に解説つけてる場合じゃねーんだよクソ野郎!
 わからないですと!
 分からないですといってみろクソ野郎!



 そう、わからない。わかるはずもない。ぼくも、クソ野郎の一人にすぎないのだ。
 だが、理解できなくても、説明できなくても、感じることはできる。
 おまえら、これが、詩だ。これが、詩なんだよ。





   ※文中の引用は、

   馬野幹『若い人に捧ぐpoem』全編
   (http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=31678

   馬野幹『朗読用テクスト 未完成交響詩 第17楽章「詩人のやさしさについて」』部分
   (http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=9576

   以上2作品よりそれぞれ引用しました。


散文(批評随筆小説等) 【HHM2参加作品】絶対的矛盾としての馬野幹について Copyright 大覚アキラ 2014-03-22 23:02:21
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