龍のいない青空
石川敬大


  ――夕映えがきれいだった あのころ
  もし自転車にのれていたなら
  ほかの街で ほかの暮らしをしていたのかもしれない

 すでに滅びた高句麗の
 釘のように錆びた川がながれる
 ふるい案内板がこの街にある
 古名《コマ》
 ハングル読み《コグリョ》という架空の
 博多湾はその朝 霧がふかくて
 貨物船が接岸する人工湾岸の岸壁で潮風にふかれボーゼンとつっ立っていた
 杭のように誘導灯のように
  ――英雄ヘモスの子、建国王チュモンから韓流の物語をひらいた
 かれの海は
 くだける波頭であり
 もろく崩れおちる橋であるけれど
 高句麗とこの街を隔て
 高句麗とこの街をつなぐ
 ガントリークレーンが虚空に巨人の手をさしのべていた

  アパートに帰ったら 母と妹がいなくなっていた
  ――それで 自転車どころではなくなった
  家族が消滅したのだから

 痕跡のない波をトレースした朧な
 新羅行のフェリーが突堤の先をきっちり曲がるところだ
 きょうも龍頭山では
 甲冑を着た眼光するどいイ・スンシン将軍が日本を睨んでいるだろう
 あたりまえの朝の光景のように
 雑然とした裏通りの食堂の勝手口あたり
 女たちがおしゃべりしながら自家製キムチをしこんでいるはずだ

  ――かれがフッと
  虚空に目をやると
  龍のいない青空がひろがっている

 一〇〇年がすぎると敵味方なく
 一〇〇〇年すぎると祖国すらないかもしれないのに
 すでに滅びた高句麗の
 半島の鏃の尖はいきている
 かれの深いかなしみの霧に突き刺さったままだ




自由詩 龍のいない青空 Copyright 石川敬大 2014-02-14 09:58:29
notebook Home 戻る  過去 未来