パターナル
salco

耳を塞いでよく聞きな
俺の生い立ちはこうだ
頭を巡らせてみると
格子の向こうに四角い光
その中からこっちを見ている一本の木
やっと首の据わった俺が
ベビーベッドの中にいたというわけさ
何かを探していたのかな
こっち側は沈んだように昏い
まあ天井には飽き飽きだった

頬に空っぽの哺乳瓶が触れていた
あるいはゴムの乳首が
コンドームだったかもな
口蓋に貼り付くあのゴムの味
今でもありありと憶えている
おまけにオムツが尻にべったり貼りついて
はみ出た糞が前に回って干乾びて
脚の付け根までこびりついていたっけよ
誰も来やしねえ
嬰児ゼロから諦念まみれだったってわけだ
一度として王様であったためしがねえよ
どうりで泣かねえガキだった


親父は大道芸人だったらしい
人垣の中で剣なんかを呑んでいたんだ
火吹きや鉄棒曲げもやってたが
何と言っても客受けするのは剣呑みだ
ハイライトでありクライマックス
芸名はマックス倉井だったかもな
  
  流れ流れて北の町
  さびれた駅は風ばかり
  街道はるかズリの赤山
  栄えはいずこ人いずこ
  流れる雲と去る時と
  昔語りはせせらぎ葉ずれ
  名残やしろの秋祭禮
  小春日和の日曜日
  影法師が笑った

よそ者の汚辱に飢えた田舎もんを前に
偉丈夫の裸形に鹿革のふんどし
その日も親父は興行していたんだが
ゆんべ淫売にもらった毛ジラミが温もったか
耳の傍を季節外れなブヨが掠ったのかも知らねえ
剣を抜こうとしたその途端
脳髄に衝撃が走った
手が震えたんだか喉が締まったんだか
食道をぶった切っちまったのさ
地面と垂直の頑丈な首の中
突き抜けた切っ先は気管軟骨に触れていた
真上を向いた親父の目が忙しなく動いたのは
信じられねえ夢から醒める為じゃなく
この致命的ヘマを何とかする手段を
青い空の何処かに探そうとしたからに他ならねえ

ごぼごぼと溢れ来た血が下顎を塞ぎつつあった
何故なら気管支動脈もぶった切っちまい
飲み下す事も出来ねえし
なるたけそおっと鼻で息をしても
空気も肺へ下りては行かねえ
刹那の狼狽が引っ張り出したのは単純至極
状況を元に戻すという、最も稚拙なセオリーだった
元の鞘に収めるってわけだ
それで切れた血管が塞がるなんて甘い幻想が
大人の分別に働くわけはない
だが体内に異物がある、
特にどえらい傷害の元凶が在るってのは
理性の利かねえ不快千万なんだろうよ
これには大人も子供もありゃしねえ
畜生も人間もな
今生の覚悟で剣を引き抜いた


その、一生に匹敵する一瞬
親父は空を見ていた
ある晴れた日曜の
ほんの些細なブレが取り返しのつかねえ失態となり
人生を切り裂いた一瞬の為の
頭を押さえられ冥途へまっさかさまの絶望におかまいなく
突き抜けるように真っ青な空を
剥き出しの胸にうららかな陽を受けながら
だが親父は呻き声一つ洩らしやしなかった
声帯もぶった切っちまったもんで・・・!

剣の切っ先が輝きの弧を曳くと
盛大な血飛沫が噴出し
親父の顔や乾いた地面のそこいら中に降り注いだ
赤い噴水みてえに迸らせながら
それでも窒息か失血のどっちが先に来るのか
ずいぶん待たされたもんだ
そうやって利き手に剣をぶら下げて
長らく突っ立っていたそうだぜ
死体になるまでな
これが長い芸歴の一世一代
白眉の見世物だったってわけよ


唖然と観ていた田吾作どもは
ぶっ倒れた血まみれの顔が瞬きせず
尚も口から溢れる血が仕掛けでないと
十全に見極めてから駆け寄った
取り巻いて見下ろす戦きは既にほくそ笑みだ
家に持ち帰り寄合の度に持ち出す
当座の語り草が手に入ったからな
どこの爺さんが何で死んだの
どこの倅がどう動いただのじゃねえ
よそ者の汚辱ほど美味い肴はねえ
異能者の蹉跌ほどの見世物もな
しかもさっき投げた銭
肘でも突き合や取り戻せる

麓の町から自転車で駐在が
そのまた隣町からパトカーが追っつけて
男の骸を救急車で運んだが
特大の骨壺の引き取り手は現われずだ
旅から旅の芸人だからな
手繰れる女は使い捨て
所帯なんかに用はねえのさ
それに英雄気取りを芸で済ますような奴は
とうの昔に勘当されたか
顔も知らねえ親父の親父も同じだったのか
墓もねえから誰も知らねえ
もし俺がその時息子だったなら
引き取って剥製にしてやったがな
高々と剣を引き抜いた姿
あっぱれな半死半生の立像だ
彫像じゃねえぜ
剥製だ


自由詩 パターナル Copyright salco 2013-10-02 23:19:50縦
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