生命の容器
梅昆布茶

生命はポテンシャルであってそれがカタチに宿って
具現化したものがリアリティなのだ という文章に出会った

なんだか最初はよくわからなかったが よく読むと
生命とは潜在的なチカラであり それが体という道具をもちいて
生物という体裁をなす ぐらいの意味合いらしい

最近やたら眠たくてただごろごろしていることが多いが
こんなに無為徒食では いまに生物ではなくなってしまうのではないか
なんて思ってしまったのだ

そうか意欲とか意思とか夢や希望をもたなければ ただの容器になってしまう
仏つくって魂入れずなんだな

仏像なら形だけでもこうごうしいが 僕が形だけだと
郵便ポストほどにも役にたたないしかえって邪魔だろう

ときどき人のブログなんかを覗いてこの人は何を考えているんだろう
なにが好きなんだろうと思う 

でも熱く語れるものがある人は羨ましいなと思う
なにが好きだってかまわないし それがその人の原動力であり
生命のポテンシャルアップに直結するものだとしたら
それこそおおいに結構だと思うのだ

ただ人間はそう他人に関心をもついきものではないと思っている
無関心がデフォルトというか初期値であって過大なものを期待すべきではないだろう

でも様々な人やものとの関係性のなかで
そこそこ共有できるものがあればそれでじゅうぶんなのかもしれない

そう容器の中味をおたがいに意義あるものに高めつつ
ついでにちょっとした喜びや哀しみにつきあって

せめて人間の化石みたいにだけはなりたくないなとおもっているのだ






自由詩 生命の容器 Copyright 梅昆布茶 2013-09-08 08:56:37
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