失楽園
salco

楽園の門が閉ざされて久しい
寝室には潰れたふたつの枕だけ
ふたりは台所にいる
夏は不快な熱で部屋を満たして
居座っている
まるで昨夜着いたばかりのように

テーブルには缶詰がひとつ
ふたりは疲れ、怯えている
イヴは窮屈な椅子で
浮腫んだ脚を前に投げ出し
苛立つ夫を目で追っている
来月には子供が生まれる
失業手当は今月で切れた
なるべくクーラーはつけない
だから暑さが不当だ
日本の夏には頭がおかしくなる

アダムはきのう
内緒で貯えを下ろし
増やすつもりで賭けてしまった
押入れのスポーツバッグの底板の下
防水紙に包まれてダガーナイフが眠る
アダムは寝室に戻って
シャツをひっかけ
それからそっと押入れを開け
閉める

出て来たアダムに妻が訊く
「どこに行くの?」
「ああ、職探し」
「土曜日よ?」
「いや」
ふたりは閉じ込められている
だから怪物退治に行く
そうすれば物語を取り戻せる
「求人誌。コンビニ」
そうだった今日は
銀行は休み
郵便局も休み

おはよう、アダム
「あー。どうも」
今日も暑いわね。奥さんお元気?
「はぁ、おかげさまで」
そうだ、金はある
世間を回っているものだ
手から手に
懐から懐に

アダムが出て行った後
イヴは台所にひとり
初めての陣痛と出産とに思いを馳せる
来月、ふたりの赤ちゃんが生まれる
もうこんなには暑くないだろうし
忙しい明け暮れになる
そうなれば、きっと全てが新しく
上手く行くような気がする


自由詩 失楽園 Copyright salco 2013-07-29 23:43:11
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