深夜一時、心地よくない秘密めいた場所にて
佐々宝砂

心臓がゆっくり動いている。
ゆっくりすぎる。
こういうのを徐脈というのだと
知識としては持っている。

目の前が白い。
何も見えないほどギラギラと白い。
白いがこれは眼前暗黒感に変化するものだと
経験として知っている。

などと考えることは可能で
脳裏にはあの使い古されたメタファのように
ここ何年かのあれやこれやが駆け巡るが
そのイメージも圧倒的なギラギラに覆い尽くされてゆく。

プレス機が乗っているかのように腹が痛い。
さっき排泄した大量の茶色い液体と
自分の尻についているであろうその液体の名残を
手探りで始末する。

自分の手首を探る。
脈が触れない。
私の心臓は動いているはずだ。
でなければ私は。

無理に立ち上がりパンツをあげる。

ギラギラがグラリと反転する、
暗黒がやってくる、
もう何も見えはしない、
これはだめだ、
もうだめだ、
どうしよう、
せめて、
せめてズボンをきちんと穿きたい、

それが最後の願いだとしたら
悲しすぎる願いを血流の足りない脳で願いながら
私は意識を失った、
心地よくない秘密めいた場所で、
深夜一時、
ひとが孤独になれる小さな空間で、
ひとがみなひとに見せたくないものを放り出す場所で。



心臓がゆっくり動いている。
ゆっくりだけれど動いている。
確かに動いている。

こんなところに倒れていたくはない。
充分すぎる慎重さで時間をかけて立ち上がり
ズボンを穿き
あたりを見回す。
とりたてて異常はない。

ゆっくりゆっくりドアを開け
ゆっくりゆっくり手を洗い

またグラリときた。

しかしさっきほどにはひどくない。
立っていられるうちに水分を
と思ったが無理だ。
立つことをあきらめて
決して衛生的とは言えない床に這いつくばり
這いつくばり
這いつくばり
たった数メートルの長い道のりを進み
布団に倒れこむ。

手首に触れてみる。
脈はあいかわらず触れない。
でも私は生きていて
自分が生きていることを
確かめるために今度は胸に手を置き、

と。
く。

視野半分に腎臓形のギラギラ。
これがふたつあったらハートだな。



#蘭の会 2013年6月「ハート」
# http://www.hiemalis.org/~orchid/public/anthology/201306/


自由詩 深夜一時、心地よくない秘密めいた場所にて Copyright 佐々宝砂 2013-07-24 13:07:22
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