人生はスリーコード
梅昆布茶
よく言われるのはスリーコードさえ弾ければ曲はできる。
だからFコードの壁でギターをやめた無限に近いスーパーギタリストに言いたい。
ローコードだって充分なんだ。 DとAとFが弾ければ立派なミュージシャンだってね。
もし君が詩人になりたいなら詞を訴えるためにはしっかりバックのスリーコードをマスターした方が良いかもしれない。
あの70年代のニューヨークのアンダーグラウンドの巨匠ルーリードだってねライブではだいたいスリーコードがほとんどだ。 それでもあれだけの表現ができる。
たとえば高田渡の生活の柄とかだってせいぜいスリーコードぐらいしか使っていない。
ブルースだってしかり。 前衛的なものだって言わば身近なスリーコードでできてしまう。
僕たちは複雑の呪いに取り込まれていないか。
シンプルがいちばんエネルギーを持っていて繊細さや脆さはその基盤のうえに成り立つものだって。
やっと思えるようになってきたさ。
そう人生はテクニックやレースでは無いと思うんだ。
スリーコードをコントロールできればあとは君の詩をのせるだけなんだね。
ただね極端な厳密さはいつも他人を殺す。
それだけは忘れないように生きていたいんだ。
ねえ 先生?!
スリーコードは背景であとは君の詩がすべてを綴る。
だからいまのいわゆる目立ってなんぼの潮流に釘を刺す。
詩と音楽は近接している。 あるいは同じスタンスでできるのが嬉しい。
僕も近くのカラオケ大会に誘われて歌うかもしれない。
なんだか最近ミュージシャンっぽくなってきたかもしれない。
散文(批評随筆小説等)
人生はスリーコード
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梅昆布茶
2013-06-30 08:34:15