食欲
夏美かをる

絶対的な漆黒に支配されながら
もう消えてしまいたい、と
泣き続けた夜
だけどそんな闇でさえ 
萎え始める瞬間がある
私の意志とは関係なく
朝は必ずやって来るのだから―
地球が営みを辞めない限り
何万回でも 何億回でも

夜明け前 
私はまっすぐキッチンに行って
白いままのパンを食べた

一枚、
二枚、
三枚、
四枚、
五枚…食べてもまだお腹が空いていた

六枚目に手を伸ばした時
ふと涙が止まった

七枚目を食べていたら
心が空っぽになった

八枚目を食べている途中で
泣いていた理由を忘れてしまった

胃袋が九枚目を要求した時
この食欲が
なんだかとても
愛おしくなった

十枚食べたら
やっと満腹になったので
コーヒーを淹れることにした
インスタントはやめて
たった一人分のコーヒーを
今日はとびきり丁寧に淹れようと思った

やがて沸き立ってきたアロマを
肺に深く吸い込んだ時
私は私の細胞の叫びを聞いた

 生きたい、
 ただ生きていたい!

私はコーヒーをごくりと飲み込んだ
喉が 食道が 胃が
順に焼けていく
思わず同じ道筋を手の平で辿る

今この中で
私が貪った十枚のパンを
私の勤勉な臓器たちが
懸命に分解している
私の隅々の細胞にまで
確実にエネルギーを送り届けるために…
つまりは
私が食べ続ける限り
決して分裂を辞めない
私を形成している六十兆の細胞

全ては
私の意志とは関係なく
繰り返されてきた
純粋で高潔な営み
私という生命がある限り
何万回でも 何億回でも

 生きる、
 ただ生きていること!

それはなんて
難しく、
単純なことなのだろう

いつの間にか
暁光に染められたリビングで
香り立つ優しい液体のぬくもりを
体中に感じながら
私は初産婦のように
少し膨れたお腹をいつまでもさすっていた


自由詩 食欲 Copyright 夏美かをる 2013-05-23 02:32:56
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