北の亡者/Again 2013皐月
たま

 田んぼ


乾いた田んぼに水が入って
追いつけないままに去っていった
春の詩をようやく諦める

花菖蒲は元気に咲いている
紫陽花もゆっくり色づいてゆく
発芽した朝顔は満員電車みたいに
ぎゅうぎゅう詰めだから
すこし間引いてやる
いつもと変わらない梅雨の入り

も吉もすっかり冬毛がおちて
午後のアイスクリームが
一番の楽しみ
最近はシニア用のドッグフードなんてのを
食べるせいかすこし肥えてきた
足腰はすっかり衰えたというのに
いつもの散歩道
ひと夏休んだ田んぼに水草のような
稲が並んだ
ああ、よかった と
よろこぶのはトンボや蛙だけじゃない
わたしの足も軽くなる
ヒトは今も水辺の生きものだから

七年耕しつづけた畑の契約を
ことしはできなかった
田んぼも畑も薄っぺらなコンクリートの
大地に変化してゆくが
この地表のすべてを
ヒトが借り受けた訳じゃない

また
春に逢えますように
北の亡者と交わす契約はいつもと同じ
異星のような
梅雨空の下で


           (一九九八年作品)




  ♯


勤めていた会社の近くの市民農園を借りて、畑づ
くりを始めたのは三十一歳のころだから、ちょう
ど、わたしが詩を書き始めたころと同じだ。借り
た農園に、ジャガ芋の種芋を植え付けたのはその
年の二月だったと思う。毎日、畑に通っては、ジ
ャガ芋の芽が出るのを心待ちにしていた。

詩を書くことは畑づくりと似ていると感じたのは、
ずっと、後のことだけど、畑づくりとともに、わ
たしの詩は成長したのだろうか。畑づくりは、土
づくりだと言う。たとえ借りた大地であっても、
それは一期一会のような付き合いが、毎年、春が
来るたびに更新されて続くのだった。人ではなく
、季節もまた、一期一会なんだと気づいたとき、
「北の亡者」が誕生したのだと思う。もちろん、
そこにわたしを導いたのは、も吉だった。

ことしの五月はいつになく気温が低く、トマトや、
ナスビや、トウモロコシといった夏野菜を植えつ
けたのは連休明けだった。ただ、それにはもうひ
とつ理由があって、この連休は慣れない船旅をし
て、三宅島の友人を訪ねたからだ。
三宅島の雄山は、ほぼ二十年ごとに噴火を繰り返
し、今も噴煙と火山ガスを吐き続けている。三宅
は現役の火山島だった。島のいたるところに溶岩
と軽石が堆積して、畑はわずかしかないと友は言
う。五日間の滞在中にアップダウンとカーブの連
続する島の道を何周したことだろうか。そこには
海と山しかなくて、田んぼはおろか、畑さえも見
あたらなかった。

それでもこの島にも五月はやってきて、一期一会
の旅人を迎えてくれた。二〇〇〇年の噴火で枯れ
木の山となった雄山も、すこしずつ土を再生し、
いつかきっとスダジイの原生林が甦ることだろう。
わたしの土づくりも同じこと。いくつもの冬を超
えるたび、真新しい春に出逢うことなのだと思う。
それが、北の亡者と交わしたわたしの契約であり、
そのなかに、詩づくりも含まれているのだろう。
そして、ことばも実を結ぶ。
わたしはその実を、詩果(しいか)と呼んでいる。
















自由詩 北の亡者/Again 2013皐月 Copyright たま 2013-05-14 13:33:26
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