pteron
紅月




未明。雨が降っている。殴り付けるような強い雨だ。風は森の木々
を蹂躙しながら北へと向かう。雨だれを引き連れて。しだいに厚い
黒雲がうっすらと明るくなっていく。森のあちこちには輪郭のぼや
けた幽霊たちが立っていて、風に逆らえず巻き上げられた彼らやた
ましい、あるいは木の葉などが夥しい数の滴と共に宙を舞っている
のが見える。地響きのような遠雷が聴こえる。獣たちは息を潜めて
いる。慟哭、殴打、示威だけが世界を支配しているように思えた。
けれどもそこではなにひとつ比喩ではなかった。嵐のさなかでわた
したちの言葉は容器として存在することができない。それは大昔か
らの約束なんだよ、と、死んだ姉は言った。失われることのない語
彙。わたしたちの言葉は容器として存在することができない。慟哭
と、殴打と、示威。雨はまだ降り続いていた。腐った巨木が風に軋
んでいる。ひどく聖なるものだ、とだれかが言った。そしてそれは
大昔からの約束なんだ。


身に覚えのない指先から羽根が生えてくる、
剪定は形骸の衝動なのですか、
比喩が咲いている、
ひとの仕草が溢れてくる、森で、
歌をうたう少女の唇はひどく乾き、
それはわたしであり姉だった、
という比喩を、(踏みにじる、
弱い獣たちの瞳はみな赤い、
赤い、写本、
かつて、や、
いまだ、は、
ここにあってはならない、
もうなにひとつ意味はないから、
豪雨の、あわいで、
わたしを、姉を、
約束することも、
約束しないことも、
立ち尽くすことすらも、
踏みにじる、剪定が、
繁殖するから、だから、
言ってください、
他ならぬ姉の語彙で、
ここには、
なにひとつ実体はない、
なにひとつ比喩はない、
形骸のための形骸ですから、
それが、大昔からの、
(約束、なんだよ、


遠雷が止まない。風は従者を引き連れて北へ向かう。森はひとつに
留まることなどないから、きっと明日にはこの森もどこか遠くへと
行ってしまう。それも約束。風が木々を演奏している。木々が身悶
えている。獣たちは息を潜めている。土はぬかるんでいく。雨、雨
が降っている。殴り付けるような強い雨だ。濡れて凍えた肌が刺す
ように痛む。永い未明。姉は死んだ。わたしが殺した。これも比喩
ではない。なにひとつ比喩ではない。わたしたちの言葉は容器とし
て存在することができない、それは大昔からの約束なんだよ、と死
んだ姉は言うだろう、他ならぬ姉の語彙で、わたしの語彙で、決し
て失われることのない、恒久の、雨、は、語り尽くされ、まもなく
止むだろう、そして、雨がやんだら、森のあちこちに、輪郭を手放
した幽霊たちが立っているから、彼らを摘みに行こう、わたしたち
の語彙で、森は留まることがないから、語彙が語彙に変わってしま
わないように、いま、ここで、かつて、いまだ、と、花々がきのう
咲きそびれてしまうまえに、それから、そこに立っているのが姉で
あっても、わたしであっても、決して歌ってはならないよ、摘み続
けなければならないよ、それが約束なんだよ、と、ふたたびわたし
がくちばしるまえに、


 


自由詩 pteron Copyright 紅月 2013-04-27 05:59:38
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