スキヤキ食べに来なさいよ、と入居者の方にまた誘われた。
ぼくは屈んでこのご婦人に笑顔を返す。
ご婦人はもうしかめっつらの真面目な顔になって午前のひかりのなかに消えてゆく。
ぼくの仕事は介護福祉士たちのサポートだった。
少なくとも最初の一ヶ月まではそれだけだった。
それがそうではなくなったのは先月からだ。
ある日リーダーに呼ばれるとテーブルに紙が一枚と紅茶が置いてあった。
深夜のお仕事は、昼間の時給の二倍になるわ、あとは、お子さんの面倒をだれが見るのか、だけれど、
リーダーがガムを噛みながら勢いよく話し始めた。ぼくはひとまず紅茶を飲み干した。
この国の太陽はしずかだ。無口だ。だけど微笑んでいる。
祖国のことを思い出すことはもうあまりなかった。だけど祖国の太陽のことはよく思い出す。
当直の日は、息子さんもここに泊まればいいわ、
息子の晩ご飯やお迎えはどうなるんでしょう、
リーダーがめんどくさそうな笑顔になった。
あなたはお子さんと一緒に夕方から出社するのよ、
自分たちの生活がざわめいた。ざわめいて不協和音のようなものが伸びていった。
晩ご飯がつくれなくなるなと思った。たしかにお金はもっと稼ぎたい。息子にはここの食事のほうが合うかもな。
それよりも深夜の仕事の内容のほうが気になった。
そのミトリというのは、どういう仕事なんでしょうか、
リーダーが噛んでいたガムをメモ用紙にのせて口元を結んだ。
ここに入居されている方の、最期を看取るのよ、
最期?
昼まえの食堂に昼餉の香りとあたたかさが半透明になって漂っていた。
顔が熱くなってぼくはその意味を理解している自分を知った。
太陽がしずかだ。浅い深呼吸をすると口のなかの紅茶の匂いが広がった。
この施設にたゆとう加齢臭よりも若いぼくの匂いだと思った。