雪迎え(1)
ブライアン

 山形県南陽市の赤湯では「雪迎え」と言われる現象がある。晩秋の小春日和に良く見られるらしく、それがあらわれると間もなく雪が降り始める。
 「雪迎え」は細い糸が空に漂う現象のことを指している。長い間、原因不明とされてきたが、錦三郎さんが、蜘蛛の糸であることを解明した。
 
 昔から湯治場として栄えた赤湯の東の端には、白竜湖がある。今は美しい田園風景が広がるが、かつては大谷地と呼ばれた泥田だった。小学生のころ、三メートルはあるだろうと思われる竹馬を使い、泥の田に苗を植えている写真を見たことがある。どこかの資料館だったか、教科書だったか覚えていない。今は灌漑事業が進み、田植機で田植えが出来るようになった。

 鳥上坂から南を見下ろすと、山の麓には湯治場として栄える赤湯があり、南端の吾妻連峰の麓にはかつて上杉藩の城下町として栄えた米沢市が見える。二つの街をつなぐものは田んぼと国道十三号線だけ。

 かつての鳥上坂は、奥州街道随一の難所と呼ばれた。今は国道の整備によって、自転車でも越えることが出来るような立派な道になった。明治初期に訪れたイザベラバード女史は、鳥上坂の中腹で置賜盆地を見下ろし、ここは東洋のアルカディアだ、と言った。その道は、今の道よりも少し西にずれている。
 
 秋葉山だっただろうか。その周辺の山の中腹にはハイジアパークという施設がある。そこには、イザベラバードの記念コーナーが設けられている。友人たちはみな無学だが、イザベラバードのことは知っている。大学の友人で知っている人はいなかった。

 彼らは無知ではなく、無学だ。知識は無様なものだと考えている。大学へ進学する、と口にした際、友人たちは嘲笑する顔を向けた。今でもその顔は生々しく思い出される。ここでの暮らしで、知識は穀潰しなのだ。
 冬は長く、雪に覆われる。かつての冬は、蚕を飼育し、糸をつむいでいたらしい。今ではもうほとんど目にすることはなくなったが、田んぼの真ん中にぽつぽつと桑の木が残っている。昔の名残だろう。

 冬になると新潟から小国街道を抜けて、ゴゼ様がやってきた。今では整備はされ、国道一一三号線として車で往来することもできるようになったが、かつては厳しい道のりだったようだ。置賜地方へやってきたゴゼ様は、農家の人々に頼まれ、蚕に歌を歌ったりしたらしい。

 米沢の西端の方に、杉山弁財天という神社がある。杉山和一を祀っている。ゴゼ様は少し足を延ばし、杉山弁財天へ詣でたという。彼女たち盲ろう者の芸人にとって、杉山和一と弁財天は守護神だった。

 農家はゴゼ様に神の祈りを嘆願し、ゴゼ様は杉山弁財天に自分たちの運を委ねた。結局、蚕は杉山和一と弁財天によって守られていたのかもしれない。農家の人々は大黒天へお供え物をするというのに。



散文(批評随筆小説等) 雪迎え(1) Copyright ブライアン 2013-01-24 09:14:36
notebook Home 戻る