あずきの恋人 (連載⑥)
たま

「ねぇ、あずきちゃん、イチローはね、あずきちゃんに恋をしてるのよ。きっと……。」
 え……、恋?
「そんなの、うそだぁー。」


「あっはっはっはっはっ……。」
 外山先生とおかあさんがまた、おおきな声で笑うから、わたしはむっちゃ不愉快になってしまった。おかあさんたちは楽しいかもしれないけれど、わたしは、鈴木さんがいなかったら、もっと、楽しい絵本教室だったのに……。
 こんなおばさんとはもう、二度と会いたくないわ……。
「じゃあ、あたしはもうぼちぼち失礼しますね。」
 うそっ……? 鈴木さんはそう言って、机のうえを片付けはじめたからびっくりしたの。
「えー? 鈴木さん、もう、帰るんですかぁ。」
 外山先生もおどろいたみたい。
「はい、はい。あたしの仕事はもう、おしまいだよ……。すっかり、疲れちゃったわ。」
 えっ、仕事って……、なによ、このおばさん?
 鈴木さんは手早く、机のうえを片付けると、おおきな紙袋をひとつ手にぶらさげて、ドアのまえに立った。そうして、外山先生とおかあさんに、ちいさく頭をさげてから、
「じゃあ、あずきちゃん、元気でね。」 
 ……って。
「うん……。」
 鈴木さんはなんだかさみしそうな顔をして言ったから、わたしは思わず、うなずいちゃった。
 パタン……。
 ちいさな木のドアをしめて、鈴木さんはでていった。
「あれ……、ほんとに帰っちゃったね。」
 外山先生はちょっと、困ったような顔をしていた。
「まぁ、いいかな。では……、あずきさん。つぎの絵をみてみましょうか。」
「あ、はい……。あのぉ……、」
「はい、なんですか?」
「あと、ひとつでおわりなんですけど……。」
 その先はまだ何も、描けていなかった。
「うん、いいですよ。じゃあ、つぎの絵をみて、絵本教室もおわりにしましょう。」
 あ、もう、おわりなんだ……、んー、がんばってもうすこし、描いておけば良かったなぁ……。さいごの絵はわたしの家のちかくの、おおきな河の堤防のうえから描いたパノラマだった。

   *

 夏草のおいしげった 
 堤防の
 コンクリートの 
 急な階段をのぼると
 わたしの街がみえた
 
 少年野球のグランドや 
 テニスコートや 
 あおい畑がひろがる 
 河川敷のひろい河の向こうには
 おおきな建物が 
 いくつもならんで
 街の真ん中には
 小さく 
 しろいお城がみえた

 東の空には 
 宇宙までとどきそうな
 入道雲がどこまでも どこまでも 
 高くかがやいて
 そのしたには 
 あかい鉄橋が 
 河をわたって
 とおい街へと 
 わたしたちを運んだ
 
 北の空のしたには 
 背のひくい家や 
 あかるい色をした病院の建物や
 猫又木山団地の 
 五階建ての棟がいくつも重なって
 その向こうには
 わたしが学ぶ 
 花山東小学校の屋上がみえた
 
 河が流れてゆく 
 西の空のしたには
 いくつもの 
 おおきな橋がかかっていて
 その先には 
 ふるさとの海がある
 わたしの街は 
 未来からやってきた汐風があそぶ
 河口の街だった

   *

「うん。これはまいったなぁ……。あずきさん、すごいね、このスケッチ。あずきさんの住む街がひと目でわかりますよ。この五階建ての建物がならんでいるところが、猫又木山団地ですね?」
「はい、そうです。」
「じゃあ、このちかくにあずきさんのお家があるのですか?」
「うん、このへん……、」
 わたしは猫又木山団地のすぐしたに、ひと指し指を立てた。
「そうですかぁ……。うーん、この絵はね……、あずきさんの物語のなかで、とてもだいじな絵になると思います。それはなぜかと言うと……。」
 外山先生はまた席をたって、ホワイトボードに、
 5W1H……と、書いたの。
「ご、ダブリュ、いち、エイチ、と言うのは、文章の基本と呼ばれるものです。たとえば、新聞の記事や、テレビやラジオのニュースのように、いろんなできごとを早く正確に伝えるためには、文章のなかに、5W1Hと呼ばれる六つ要素がひつようです……。」
 つぎに、外山先生が書いたのは英語だった。
 えっ、こんどは英語なの……? やっぱし、イチロー選手みたいだ。
「ここに六つの単語を書きました。ひとつ目は、When(ホエン)、意味は、いつ。ふたつ目は、Where(ホエア)、どこで。三つ目は、Who(フー)、だれが。四つ目は、What(ホワット)、なにを。五つ目は、Why(ホワイ)、なぜ。六つ目は、How(ハウ)、どのように。この六つの単語の頭文字をならべると、ご、ダブリュ、いち、エイチになりますね。」
 ほんとだ……、ダブリュが五つと、エイチがひとつなんだ。
「では、この六つの単語の意味をつづけて読んでみます……。いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どのように……と、読めますね。これは文章を書くための基本ですが、ぼくは、詩を書いたり、物語のストォリーをつくる場合も、けっして忘れてはいけない、たいせつな基本だと思います……。」

 うーん、やっぱし、鈴木さんがいないとおもしろくないのかなぁ……。
「あはっ、ごめん、ごめん……。では、あずきさんの絵に、お話しをもどしますね。まず、この絵をみてわかることが、ふたつあります。ひとつ目は、When(ホエン)、いつ……、ですね。つまり、この入道雲をみて、季節は夏だとわかります。ふたつ目は、Where(ホエア)、どこで……、ここは、あずきさんの住む街……、つまり、物語の舞台なのです。」
「あ、なるほど、そう言うことでしたか……、すごいわね、あずき。」
 なによ、おかあさんったら、そんなこと、わたしにだってわかるわよ。もう、わたしが生徒なのよ……。
「そこで、もういちど、あずきさんの絵をはじめからみてみますと、あずきさんの部屋の絵と、イチローの絵がありますから、三つ目の、Who(フー)、だれが……に、当てはまるのは、あずきさんとイチローであることがわかります。つまり、あずきさんとイチローが、この物語の主人公なのですね。」
 あ……、やっぱし、外山先生は魔法使いなんだ。すごい!
「さぁ、もう、わかりましたね。では、あずきさん、まだ足りないものは、なんですか?」
「えっ、わ、わたしですか?」
「そうですよ。ぼくの生徒は、あずきさんなんでしょう?」
 うっふっふっふ……。
 また、おかあさんに笑われてしまった。もう、わたしったら……、なによ。
「足りないものは、四つ目と、五つ目と、六つ目ですね。ですから、あずきさんの物語は、まだ半分しか描けていないことになります。ね……、あずきさん、わかりましたか? ここから先の絵は、その足りないものを描いてください。そしたら……、あずきさんの絵本はきっと、完成します。」
 おかあさんが、ホワイトボードの英語をメモしてくれていた。でも、ほんとうにわたしの絵本は完成するのだろうか。まだ、足りない絵なんて、想像もできなかった。
「では……、ぼちぼち、おわりますから、さいごになにか質問があれば、お聞きしたいと思います。」
「あのぉ……。」
「はい、あずきさん、なんでしょうか?」
「この先は、どんな絵を描いたらいいのですか? なにかヒントをください。」
「おっ、なるほど、ヒントですか? あずきさんらしい質問ですね。」
 外山先生は腕を組んでしばらく考えてから、
「じゃあ、ひとつだけ……、ついさっき、鈴木さんが言ってましたね、イチローは恋をしているかもしれない……って。ぼくはこれがヒントだと思います。そこで、まず、イチローの恋の相手を探してみてください。もし、みつからなかったら、あずきさん……、あなたがイチローの恋人になってあげてください。」
 えっ、やっぱし、わたしなの?
「うん、そうだと思いますよ。……あ、ヒントはそれだけ。じゃあ、ほかに質問はありませんか?」

「はい……。」
 おかあさんが手をあげたの……。
「はい、おかあさん、なんでしょうか?」
「あのぉ、外山先生はおいくつですか?」
 えっ、なによ、それっ。もー、おかあさんったら、なに考えてるの?
「あっ、ぼくですかぁ? うーん、そうだなぁ……、たぶん、三十歳かなぁ……。」
 はあ……? たぶんって、なんなの? あ……、そうだ、魔法使いはじぶんの年齢なんて気にしないんだ、きっと。
「あらっ、まだ、お若いですね。」
「はい、そうみたいです。あ……、おかあさんも……、とても若々しくて、きれいですよ。きょうはお会いできて、うれしかったです……。」
「えー、そうですかぁ。わっ、うれしい! ね……、あずき。」
 ……。そんなこと知らないわよ、わたし……、関係ないでしょ。
「じゃあ……、もう、時間もありませんから、本日の絵本教室はこれでおわりたいと思います。あずきさん、おかあさん、お疲れさまでした。」
「いいえ、こちらこそ、ほんとうにありがとうございました。あずき……、外山先生にお礼を言いなさい。」
 うん……。
「ありがとう。」
「あずきさんの絵は、とてもすてきでしたよ。あずきさんは、手でさわれないものを描くことができますね。だからもう、悩まないで、思うままに描いてください。きょうは、あずきさんの絵をみることができて、すごくうれしかった。だから、ありがとう……って、言うのは、ぼくなんですよ。」
 え……、そんなこと言わないで……、やだぁ、わたし、涙がでそう……。

 外山先生は廊下に立って、わたしとおかあさんを見送ってくれた。
 わたしがなんどもふり返って、ちいさく手をふったら、外山先生は両手をひろげて、おおきくふってくれたけれど、おかあさんと手をつないで階段をおりると、外山先生はみえなくなった。
「よかったね、あずき。」
「うん。」
 ひさしぶりだなぁ、おかあさんと手をつなぐなんて。
 あれっ……?
 廊下や階段に貼ってあった、青い矢印がなくなっている。一階におりると、絵本教室の立て看板もなくなって、だれかいるのかなって思って、事務所のなかを覗いたけれど、やっぱし、だれもいなかった。
「わっ、暑いわねぇ。」
 ひろい駐車場にはおかあさんの車だけがぽつんと、とめてあって、ドアをあけたら顔が焼けそうだった。
「ねぇ、あずき。これからスーパーに寄って、お買い物するからいっしょに行ってね。」
「うん……、おばあちゃんはだいじょうぶ?」
「あら、そうね……。」
 おかあさんが家に電話して、おばあちゃんが元気そうだったから、このまま買い物に行くことになった。動きはじめた車の窓ガラスをいっぱいにあけて、わたしは猫又木山文化会館の三階をみあげたの。

 あっ、だれかいる……、鈴木さん?

 たしかに、三階の廊下の窓にだれかがいて、こちらをみていたけれど、すぐに、わたしの視界からみえなくなった。                  


                      つづく














散文(批評随筆小説等) あずきの恋人 (連載⑥) Copyright たま 2012-12-30 17:21:30
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