あずきの恋人 (連載④)
たま

(ようやく、外山先生の絵本教室が始まった……)



 鈴木さんの絵はおそろしくヘタだった。
 画用紙だと思った紙はよくみると、カレンダーの裏紙で、そこにクレヨンと水彩絵の具でわけのわからない絵を何枚も描いて、机のうえにひろげてあった。
「おっ、たくさん描けましたねぇ。じゃあ、鈴木さん、一枚目はどれですか?」
「はい。これです。」
銀色のおおきな渦巻きが、まっ黒な背景のなかに描かれていた。
「うん? これはなんですか……。」
「銀河系だよ。」
「なるほど、宇宙に浮かぶ銀河系ですね。」
 とてもそんなふうにはみえなかった。どうみても、蚊とり線香だとわたしは思った。
二枚目も、まっ黒な背景にちいさなマルがいっぱい描いてあった。
「ん、これは……?」
「太陽系……。」
「あ、そっかぁ、まんなかの赤いのが太陽で、このちいさな青いのが地球ですね。」
「そう。」
 そう言われたら、そんな気がするけれどちいさくてよくわからなかった。
 三枚目は、おおきなマルが黄色い背景のなかに描かれて、マルのなかにはうすい茶色の横縞がいくつもあった。
「うん? これはどこかでみたような気がしますね……。」
「ジュピターだよ。」
「ジュピター? あ……、木星なんだ。」
「そう、あたしはね、ここで生まれたんだよ。」
 はあ? なにそれ……。
 わたしたちが唖然としていると、鈴木さんはいっきにしゃべり始めた。
「ジュピターはガスでおおわれた惑星だからわからないけど、ガスのなかにはひろーい海があって、海のなかにはおおきな大陸がひとつあって、大陸にはあたしたちの国があって、国のまんなかには三万メートルのたかーい山があって、その山のうえにはとてもりっぱな神殿があって、その神殿にはあたしたちの大王さまが住んでいるんだよ。はい、これが神殿の絵……、それから、これが大王さまの絵。大王さまの名前はユーピテルって、言ってとても偉大なおひとなのよ。」
 大王さまは猫みたいな顔をして笑っていた。
「あ、それからね……。じつは、あたしは大王さまのいとこなんだけど、大王さまの一族は魔法が使えるんだよ。それでね、国民の悩みはみーんな解決しちゃうのよ。ね……、おもしろいでしょ?」
 鈴木さんの絵は大王さまの笑った顔がさいごだった。

「うーん、おもしろい物語ですねぇ。」
 外山先生はまじめな顔をして言ったけれど、わたしはちっともおもしろくなかった。いまどき、そんな物語をおもしろがるこどもなんているのかなって、思った。
「じゃあ、鈴木さんは魔法使いなんですね。」
「……、そうだよ。」
 わたしはうつむいておかあさんと目線を合わした。おかあさんはちょっと困ったみたいな顔をして口に手をあてると、ぐふん、って、咳払いしたの。
「では、鈴木さん。この物語はまだまだ始まったばかりですから、この先のストォリーが大切だと思います。たとえば、鈴木さんはいま、地球にいますね……。木星で生まれた鈴木さんがどうして地球にいるのでしょうか。それから、鈴木さんは魔法使いなんだけど、この地球でどんなひとと出会って、どんな魔法を使うのでしょうか。そして……、」
「あ、それはね、ないしょだよ。ひ、み、つ……。」
「え、そーなんですか? あっはっはっはっはっ……。」
 外山先生がおおきな声で笑った。
「うっふっふっふっふっ……。」
 やだぁ、おかあさんまで笑ってる……。それにしても、鈴木さんは外山先生の言うことを理解できていないみたい。絵本のなかの物語なのに、まるで現実の話しをしてるみたいだった。
「わかりました。まぁ、いいでしょう。では、鈴木さんはもうすこし、絵のつづきを描いててください。ひみつがバレない程度でかまいませんからね。いいですか?」
「はい。」
 やっぱし、小学生みたい……。
「さあ、あずきさん、お待たせしました。つぎは、あずきさんの絵をみせてもらいましょうか。」
 えっ、わたし……!

 わたしはあわててかばんのなかから、スケッチブックを取りだして机においた。心臓がドキドキしてる。
「あずきさんはいつもスケッチ・ブックに絵を描くのですか?」
「はい、そうです。」
「うん、とてもいいことだと思います。スケッチ・ブックだと、せっかく描いた大切な絵を失くさないし、よごれたり痛んだりもしないし、それに、絵本だったらそのまま本になりますからね。」
 あ、そっかぁ……。
「では、あずきさん。一枚目をみせてください。」
 わたしはスケッチ・ブックの硬い紙でできた表紙をめくった。
 一枚目はほとんど白紙の状態で、画面の中央にひだりから、イチロー、わたし、おかあさん、おばあちゃんの絵が、親指ぐらいのおおきさで一列に並んでいた。
「これは絵本の表紙ですね。」
「はい。」
「うん、なかなかシンプルでいいと思います。水平に並んだ絵はみな、おなじおおきさをしていますね。このイメージは、すごくおとなだと思います。あずきさんは不公平なことが嫌いなんですね。」
 え、そうなの……?
「絵本のタイトルはまだ、決まってないのですか?」
「う、うん……、あ、はい。まだ、なにも……。」
「この子がイチローですか?」
「はい。イチローと、わたしと、おかあさんと、おばあちゃんです。」
「あれっ、おとうさんはいないのかな?」
「あ……、わすれてた……。」
「じゃあ、おとうさんも入れてあげてくださいね。」
「はい……。」
 おかあさんったら、クスクス笑ってる。おかあさんだってときどき、忘れてるのに……。
「あ、それから絵本の登場人物はもうすこし、多いほうがいいかもしれませんね。たとえば、となりのおばさんだとか、クラスの友だちだとか……、家族だけだと平凡なストォリーになってしまって、おもしろくないかもしれません。」
「あー、じゃあ、あたしも入れてよ。ね、あずきちゃん。」
「え……?」
 鈴木さんがいきなり割りこんできた。もー、邪魔しないでよ。
「鈴木さん……、しずかにしててくださいね。」
「あらっ、そおなの……。」
 鈴木さんは外山先生にしかられて、ちょっと不服そうだった。
「では、あずきさん、二枚目をみせてください。」
 二枚目はわたしの部屋を画面いっぱいに描いていた。
「これは、あずきさんの部屋ですか?」
「はい、そうです。」
「…… ……。」
 外山先生はなんだかうれしそうな顔をして、しばらく、わたしの絵をみつめていた。
「とてもていねいな絵ですね。えんぴつの線がやさしくて、水彩のいろも淡くしずんで……、うん、ぼくはこんな詩的な絵が大好きですよ。」
 わっ、なんだろう。こんなにうれしいのって、久しぶりじゃん。でも……、
「先生、シテキって、なんですか?」
「あ、ごめん。ちょっと、むずかしかったかな。えーとね……。」
 外山先生はホワイトボードに、詩的……と、書いてそのよこに、ポエム……と、書いた。
「詩的というのは、あずきさんのこの絵のなかに詩があるということです。でも、それはぼくの感情にすぎません。この絵のどこに詩があるのかと問われても、ぼくはうまく答えることができないからです。それは、手でさわれないものであり、ことばで表現することも、とてもむずかしいのです。」
 えっ! 手でさわれないもの……。うそだぁ!

 わたしは由美ちゃんに、こどもみたいね……。って、言われてからずいぶん悩んでしまって、そうじ機や、テレビや、ぬいぐるみみたいな手でさわれるものはもう、描けなくなったから家の外にでて、公園とか、学校の運動場とか、ちかくの川の堤防でぼんやり写生したり、雨の日は、わたしの部屋のふだんはよくみたことのない、カーペットの模様とかを、ていねいに描いたりしていた。
「先生……。」
「はい、なんでしょう?」
「手でさわれないものって、どんなものか教えてください。」
「うーん……、とてもむずかしい質問ですね。」
 でも、外山先生だったら、教えてくれると思った。
「あずきさんはじぶんのことが好きですか?」
「え、じぶんのこと……?」
「そうです。あずきさんは、あずきさんを、愛していますか?」
 そんなことって、あるのだろうか。わたしが、わたしを愛するって……、なに、それ?
「わたし……、よくわかりません。そんなこと、考えたこともないし……。」
「うん、そうだね。ぼくもわからなかったんですよ。おとなになるまえは、じぶんのことなんてだれも考えないものです。だから、おかあさんに叱られたり、友だちにいじめられたりしたら、どうしても、じぶんを守りきれなくなって、もう、死んでしまいたいと思うこともあるのです。あずきさんにはまだ、わからないかもしれないけど、じぶんのことを好きになるって、とても、たいせつなことなんです。」
 外山先生はゆっくり、ていねいに話してくれたから、わたしはなんだかわかる気がした。
「手でさわれないものは、あずきさん……、あなたのからだのなかにあるのです。だから、まず、じぶんのことをしっかりみつめてください。あずきさんは、ちいさいころからたくさん絵を描いてきましたね?」
 え……、どうして知ってるの?
「それは、あずきさんが絵を描くことが好きだったからですが、好き……って、言うのは、じぶんのことをよく知りたいという感情なんだと思うのです。絵を描いたり、本を読んだり、ギターを弾いたり、詩を書いたり……、なんでもかまわないのです。好きになるっていうこと、好きなものがあるっていうこと、それが、手でさわれないものを知ることにつながると、ぼくは思います。」
「あたしは人間が好きなんだけどねぇ。」
 また、鈴木さんが割りこんできた。もー、こんど割りこんできたら首しめてやるから……。
「うん、それもいいですね。」
 え……、なんなの?
「あずきさんもいつか恋をします。好きなひとに、好きだと言うのはとても苦しくて、勇気がいるのですが、そんなときも、手でさわれないものを知ることができると思います。そうして、一歩ずつ、あずきさんはおとなになっていくのです……。あ……、あずきさんはもう、好きなひといるのかな?」
「ええっ? い、いません。」
「ぐっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ……。」
 もー、なによ! このおばさん! わたしは鈴木さんを思いっきりにらみつけてやった。

「あ、そうだ。絵本教室にもどりましょうか。あずきさん、へんな話しになってしまって、ごめんね。」
 外山先生はそう言って椅子にすわると、また、わたしの絵をみてくれた。
「あずきさんはいま、絵本を描いていますが、いちばん困っていることはなんですか?」
「ん……、ストォリーが思い浮かばないので、ちょっと、困ってます。」
「うん、あずきさんの場合はとても絵がしっかり描けているし、それに、あずきさんの絵のなかにはもうすで、ことばがいっぱいあります。だから、ほんのすこしだけ、ことばを書き加えたらたらいいと思います。たとえば、詩を書くみたいにね。」
「え……、詩、ですか?」
「そうです。じゃあ、このあずきさんの部屋の絵をよくみてください。この絵のなかから、なにかことばが思い浮かびませんか?」
 う……ん、外山先生の言うことは、なんとなく理解できたけれど、わたしはムズムズするばかりでなにも思い浮かばなかった。
「うふっ、あずきにはちょっと、むずかしいわね。外山先生だったら、どんなことばを思い浮かべますか?」
 おかあさんが助けてくれた。
「あっ、ぼくですか? うーん、そうですねぇ……。」
 外山先生はまた、立ち上がるとホワイトボードのまえでしばらく考えてから、青い字で、

 わたしはここにいます。

 ……と、書いたの。


              つづく














散文(批評随筆小説等) あずきの恋人 (連載④) Copyright たま 2012-12-22 09:10:02縦
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