あずきの恋人 (連載①)
たま

「あずきー、ねぇ、あずきー。」
 おかあさんがわたしを呼んでいる。
 わたしはいま、絵本を描いているところだから、おかあさんの用事はなにもできないことを知っているはずなのに……。
 ぱた、ぱた、ぱた……、って。
 スリッパの音がして、おかあさんが二階にやってきた。
「あずきー、おかあさんねぇ、これからおばあちゃんをお医者さんに連れていくから、下の部屋で留守番しててちょうだい。ね、わかった?」
「えっ……、おばあちゃんどこかわるいの?」 
「うん、ちょっと血圧がたかいみたいなの。帰りはおそくならないと思うけど、おとうさんにも電話しとくから、あずきはお留守番してて。ね、たのんだわよ。」
「うん、わかった……。」
 お昼ごはんを食べたばかりだった。おばあちゃんはお昼ごはんいらないといって、寝ていたから、おかしいなって思ってたけれど……。だいじょうぶかなぁ、おばあちゃん。
 ばた、ばた、ばた……、って。
 おかあさんと階段をおりた。おばあちゃんはもう、おもての車のなかにいるみたい。おかあさんは靴をはいてあわてて玄関をでていったと思ったら、すぐにもどってきた。
「どうしたの? おかあさん。」
「あずき、車のカギとってちょうだい。冷蔵庫のよこにあるから……。」
 おかあさんはあわてん坊だから、わたしが付いていったほうがいいかもしれない。車の運転もヘタだし……。
「おかあさん、ひとりでだいじょうぶ?」
 車のカギをおかあさんの手のひらに、ぎゅうっと、おしつけて聞いてみた。
「うん、ありがとう。だいじょうぶよ。じゃあ、いってくるわね。」
「うん……。」
 玄関の前でおかあさんの車をみおくった。おばあちゃんは車の助手席から、わたしに手をふってくれた。おばあちゃんはだいじょうぶかもしれないなぁ……。わたしはちょっと安心した。

 玄関にカギをかけて二階の部屋からスケッチ・ブックと、絵の具と、筆と、えんぴつをもってきて、わたしは台所のテーブルで絵本を描くことにした。台所はクーラーが効いていてとても涼しいから、絵本に集中できるし、午後はイチローが家にやってくると思った。
 イチローはわたしの家に遊びにくるノラ猫なんだけれど、ちょっと痩せていて、からだの毛もうすい茶色だったから、わたしは女の子だと思っていた。でも、おばあちゃんは、この子は男の子だよ……って。それで、よくみたら、どことなくニューヨーク・ヤンキースのイチロー選手に似ていたから、わたしたちはこの子はイチローだねって……、きめちゃったの。
 イチローは午後になると、わたしの家にやってきて、おかあさんにおやつをもらっていたけれど、夜はどこにいるのかわからなかった。でも、学校の帰りに猫又木山団地の自転車置場で、ときどき、昼寝をしていてそんなときは、イチロー……、って、呼んでやっても知らないふりをするくせに、家にくるとちゃんと返事をするから、ちょっと、ずるい猫なんだけれど……、
 イチローはわたしが描いている絵本の主人公だったりする。

 わたしはちいさいころから絵を描くのが大好きだった。
 小学校に入学したとき、おとうさんにスケッチ・ブックと、水彩絵の具を買ってもらって、わたしは家のなかにあるテレビとか、そうじ機とか、玄関の靴とか、おかあさんの化粧品とか、おとうさんのひげそりとか、おばあちゃんに買ってもらったぬいぐるみとか、目覚まし時計とか……、そんなものばかり毎日、描いてきたから、スケッチ・ブックはもう十一冊もたまっているけれど、四年生のときに、クラスの由美ちゃんが家に遊びにきて、わたしのスケッチ・ブックをみせたら、こどもみたいね……って、言われたの。
 そのとき、わたしはちょっとへこみかけたけれど、わたしの絵のどこがこどもみたいなの……? って、聞いたら、由美ちゃんは、こどもは手でさわれるものしか興味がないのよ……って、おとなみたいな顔をして言うから、じゃあ、手でさわれないものってなんなのよ……って、聞きかえしたら、由美ちゃんは、それはおとなの世界よ……、って。
 でも、わたしは由美ちゃんの言うことは、つじつまが合わないと思った。
 おとなの世界はよく知らないけれど、こどもの世界にだって、手でさわれないものはあるはずだと思うし、わたしの場合はまだ、その手にさわれないものに気づいていないだけで、由美ちゃんだって、こどもの世界の手にさわれないものを知らないまま、おとなのふりをしているだけだと思う。
 だから……、わたしはあまりへこまないようにしようって、じぶんに言い聞かせたのだけど、もし、ほんとうに、手にさわれないものがあるとしたら……、それは、どんなものなんだろう。
 わたしは、おとうさんや、おかあさんに聞いてみようかなって思ったけれど、おとうさんも、おかあさんも、ふだんは単純な話しかできなかったから、たぶん、聞いてもわたしは納得できないだろうなって気がして、ちょっと、悩んでしまうけれど、じぶんで考えることにしたの。
 そうして、わたしは五年生になった。
 ある日のこと、家族そろって晩ごはんを食べていたら、おばあちゃんが、あずきはさいきん絵を描かなくなったねぇ……、って、言ったの。そしたら、おとうさんも、おかあさんも、あ……、ほんとだね。どうして描かないの? って、言うからわたしは、絵ばかり描いててもおもしろくなくなったからよ……、って、言ってやった。そしたら、おとうさんが、じゃあ、あずき……、絵本とか描いてみたらどうかなぁ……、って。
 え……、絵本?
 わたしは思わず聞きかえした。

 一時間ほど、夢中になって絵本を描いていた。
 でも、絵本って、とてもむずかしくて思うように前に進まない。絵本は絵を描くだけではなくて、いくつも絵をつなげて物語にしなければいけないし、その物語の主人公や、脇役や、ストォリーを考えるのがけっこうたいへんだった。学校の図書館や、本屋さんで、いろんな絵本を読んでみたけれど、たくさん読んだからといって、わたしが絵本を描けるという保証はどこにもないし、とりあえず、イチローを主人公にして、わたしと、おかあさんと、おばあちゃんを脇役にして、思いつくままに絵だけを描くことにしたの。
 うーん……、絵本が描けるひとの頭のなかって、どうなってるのかなぁ……。
 シャリ、シャリ、シャリ……。
 あっ……、知らない間にイチローがやってきて窓の外にいた。いつものように窓ガラスを前足でこすって、部屋のなかに入れてくれってさいそくしている。わたしは窓をあけてイチローを入れてあげた。
 アー、アー、アー……。
 イチローはいつも、猫じゃないみたいな声で鳴いた。
「イチロー、おなかすいたの?」
 アー、アー……。
 イチローはテーブルの椅子にちょこんとすわって、わたしの顔をみてまた鳴いた。まるで、わたしとこの飼い猫みたい……。
「ねぇ、イチロー。おかあさんにナイショでソーセージあげるから、今日はわたしのモデルになってね。」
 イチローはあまり感情を顔にださない猫だから、絵本のなかのイチローもみな、おなじ顔になってしまう。だから、ストォリーが思い浮かばないのはきっとそのせいかもしれない。今日はじっくりイチローの顔を観察して、猫の気持ちがわかるわたしになりたいと思った。
 イチローはソーセージを食べると椅子にすわったまま眠りはじめたの。
「もぉ……、ねちゃったらだめじゃん。」
 わたしはイチローを抱きおこしてひざのうえに乗せると、イチローの顔に両手をあてて、ほっぺたを指でつまんでひっぱったり、耳をつまんで前やうしろにたおしたりして、怒った顔や、笑った顔や、泣きそうな顔や、いろんな表情の顔をつくっては絵本のストォリーを考えたの。イチローはときどき嫌そうな顔をしたけれど、たぶん、ソーセージをもらったから仕方なさそうにおとなしくしていた。
 そのときだった。
 パタ・パタ・パタ・ター、って……。
 窓の外をバイクが走ったと思ったら、イチローはわたしのひざから飛びおりて、玄関にむかって鳴きながら走っていった。
 アー、アー、アー……。
「えっ、どうしたんだろう……?」
 だれかが来たのかもしれない。わたしはイチローのあとを追いかけて、玄関のドアを開けてみたけれどだれもいなかった。イチローは玄関の前のしろい郵便ポストのうえに、すばやく飛び乗ると、ほそくて長いしっぽをまっすぐ立ててふりかえった。
 アー、アー……。
「あ……、そっかぁ。郵便屋さんが来たのね、きっと……。」
 わたしはポストのなかをのぞいてみた。
「ん……? なにかはいってる……。」
 それは郵便ではなくて、ノートぐらいの大きさのうすい紙だった。チラシかもしれない……、わたしはそう思った。
 青いインキでなにか書いてある……、『手づくり絵本教室のお知らせ』……。えっ……?
 一瞬、わたしの息が止まって、頭のなかがまっしろになった。

「うっそぉーー。」

 わたしはこどもみたいに大声をだしてしまった。
                 

                 つづく








 


散文(批評随筆小説等) あずきの恋人 (連載①) Copyright たま 2012-12-13 16:44:23縦
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