家族写真—デッサン    
前田ふむふむ

あなたは何において父の後継者なのか
という問いに
わたしは おそらく負債において
といったときの
背を伸ばした麦の穂は
熱帯のようなひかりの拒否に
砕けかれていく
  
  いまは
  飛ぶという行為には段差が大きすぎる
  冒険主義には世間はつめたいから
  わたしは寒冷前線をさけて 
流される

「ぶしょうだから」

ビニールハウスの いちごのぬくもりのように 
バラエティー番組の映像のように
わたしのまわりにふりつもる
「いつするの」
「うん・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
・・・・・・そのうちに」
ぶしょうは性癖である
整理整頓がこえをあげる
「もうそれいらないんじゃないの」
「なんかに ひつようになるから・・・・・・ 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・この隅に おいとくよ」
かさねられた恣意の山なみ
センチメンタルな「この隅に」は
忘れられていく
ときは空白を広げて
雪のように沈殿していく
わたしのなかで
家族写真のアルバムのような
厚さをはかりながら
沈殿は 沈殿を忘れる
あしたのなかへ

負債をもたない わたしは欠けている
かたむいた身体を
安定したおもさをつかむために
空腹のサルのように
あるときは 名刺の肩書であり
りんごの皮くらいの賞賛であり
それが父の死であり
その肉体の灰のなかから
所属にかぎりなく接近して
いくつもの稜線を流れながら
わたしは なお 白い乳房に欲動するのは
欠けているからではない
欠けているものが なんであるか
分からないから
わたしの思考は
足元から透けていく

新しいパソコンが届く
取扱説明書をよみながら
わたしは ぶきようであるとおもう
この手のさきまで 
この指のさきまで
わたしのあらゆる力学が
蛍光灯のしたで 虫のように這っている
新品の書棚は 高々とそびえていて
渇望の果てにみえる
朝が遠い場所にたっていた

「あれが クニミ峠だね」
「うん 遠いね
      
すこし休んでからいこうよ」
ひつじ雲が
ゆっくりと流れている
ありきたりなことばが
降りつもる場所が 寝返りをうつ
整理オンチ 整頓オンチ
捨てられない「この隅に」の
あたたかみのなかで
静かに眠っていて
わたしはもう
未知の数式の空を
流れている









自由詩 家族写真—デッサン     Copyright 前田ふむふむ 2012-11-20 21:53:53
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