彼の地
ブライアン

雨が降った後、
コンビニの自動ドアが開いて、
押し寄せる、空。

湿気が、国道1号線の、
キャッチセールスの波、
信号機の赤、
吐き出した溜息で、
留めていた物が、
排水溝に流れた。

雨、は止んで、
呼吸が乱れる。

特別な過去がないので、
言葉が書けないんだよ、と、
初恋の子を薄幸の美女に祀りたてる。

彼女は、1980年、朝鮮戦争のために、と語りだしたボールペン。
国道113号線は北と南に分裂する。
彼女はソビエト連邦の国籍を得るため、
先祖代々の畑を手放さなければならなかった。
それも、二束三文。
アメリカ合衆国は、廃頽した鉄のカーテンで、
彼女の進路を断つ。
有刺鉄線の地下に掘られた、58日間のトンネルは、
昨夜、豚が一気に逃げ出したせいで、見つかってしまったよ、
と弟が語る。彼は、雪の女王を見ながら、スナック菓子を食べていた。
彼女は両親の悲壮な顔を見て、それが真実だと悟る。

雨、止んでる、と彼女は尋ねた。
傘をさしているのは、一人だけだった。
空を見上げる。
環状線が走っている。車の、ライトが、
水滴にぶつかり、辺りが、反射して、輝いていた。
彼女の手には、一枚のチラシ。
ガールズバー、いかが、と彼女は微笑む。
金髪に染めた髪の毛。二重瞼。つけまつげに、ホットパンツ。
二―ハイブーツ。

口内が神秘たる欲望に飢えると、
つややかな唇からわめく、名前が露わになる。
ゲルダは、カイを探しているんだ。

鉄のカーテンは新潟県の佐渡島あたりから、
福島県の松川浦あたりを横断した。
かつて、チャーチルは退任の演説のなかで、
冷戦のフロントラインをそう表現した。

だけどそれって、竹のカーテンのことだろ、と
肉まんをかじる少年が言う。
歴史の教科書には載ってないけど、
塾で配給された参考書に載ってたぜ、おじさん。
で、そのペン、もちろん剣より弱いでしょ。

フォトモンタージュされた戦線が、
ペンの筆跡を残し、
黒縁メガネのレンズに、油脂のついた少年。
どうやら、アニメも見ちゃいないな、と独り言する。
1582年、10月4日の翌日が10月14日にならなければ、
生誕30年分のギャップは埋まっていたかもしれない。
彼は鞄から参考書を取出し、
指をなめ、
油を落とす。

メイソン・ディクソンラインが、歴史の軋轢の中で、
地球の地軸によって歪んだその延長線、
国道113号線は
1970年、一本の線になる。
ユリウスでもグレゴリオでも同じこと。
30年分のずれが、彼女との間を引き裂いている。
ともすれば、彼女の初恋の相手は、
今、塾の参考書をめくるこの少年かもしれない。

知っている夜だ。
雨が降ってきて、あがり、
街が光を放っている。
朝が来て、働いて、日が沈み、帰宅し、眠るだけ。
道端に運ばれる香りが、しゃがれた女性の声に交じる。
香水か、用水路の香りか。

ソビエト連邦へ行った彼女は、メリーゴーランド。
山の斜面に植え付けられたデラウェア種の葡萄。
ソングライダーが飛び降りた湖で、彼女は自らの土地だった場所を見る。
とてもよく耕された、美しい水田が、
盆地の果てまで続いている。もちろん、
全てが彼女の土地だったわけじゃない。
斜陽が彼女の横顔に当たる。
民衆の反旗は、血が流れすぎる。
国道113号線、七ヶ宿の峠を越えても、
なお。


自由詩 彼の地 Copyright ブライアン 2012-10-19 01:20:04
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