短い季節たち
梅昆布茶

 クリスマス

この街にはいつものように雪のないクリスマスがやってくる。
光のクリスマスツリーが恋人たちの想いをたかぶらせる季節だ。
レストランの窓越しのほかの世界の絵のように映し出されるざわめきと温もりは
冷えびえとした僕のこころにもいくばくかの慰めをわけてくれる。

僕は彼女のノルマに協力してクリスマスケーキをふたつ買った。
もちろん彼女といっしょに食べれるわけもないのだが。
恋の場面でいつもとり残される男子をパセリ君と言うらしい。
ぼくはパセリ君という詩をかいた。そしてパセリにふさわしいクリスマスを過ごすべく
安い赤ワインを買って古井戸の「ちどり足」の

ひとりの祭りには 赤いぶどう酒飲み 

というフレーズを思い出しながらローストチキンをかみしめていた。


 サマー・イン・ザ・シティー

CL72という中古のバイクを手に入れた夏。
僕はテントとシュラフといくばくかの食料を積んで旅に出た。
横浜からバイトで稼いだ金をポケットに甲州街道を京都にむかってのぼってゆく。

250ccの古いエンジンはパラパラという独特な排気音で山梨から長野の1000〜2000m
級の山の裾野を少々息切れしながらも駆け上ってゆく。

人っ子一人いない御母衣ダム湖の駐車場の片隅にテントを張りラーメンの夜食とウイスキー。
そして湖面に映る星空に吸い込まれそうになりながら酔って眠る。ほんとうに星だらけの夜だった。

でもどうしてサマー・イン・ザ・シティーかと言うと岐阜、富山、滋賀を通過。

タクシーと一般の車も驚くほど運転が荒っぽいと感じられた京都だったからだ。
歴史的風情よりもやたら人が多くて観光の顔した都会しか感じる暇がなかったのだろう。
でも「二十歳の原点」の高野悦子さんが通ったジャズ喫茶しあんくれーるにいきたかったのだ。
いまはもうないそうだし大切にしていた女性をあしらった素敵なマッチもいつのまにかなくしてしまったが。

いまでも彼女の聴いていたスティーブ・マーカスのTomorrow never knows は好きな曲のままだ。

 コスモス高原

宅配便をやっていた頃担当していた小さな山懐の町は武蔵の小京都とも呼ばれる
江戸、川越、秩父を結ぶ往還の和紙と酒の里でもある。
もちろん秩父の豊かな水脈にはぐくまれての伝統の技術でもあろう。
近辺の清流にはまだ蛍もみられるという。

秩父往還をさらになだらかに上ってゆくとやがてその清流をわたって県内唯一の村に入ってゆく。
近くには旧東京天文台観測所があり今でも月数回の星空観望会がおこなわれている。

冬場にさらに奥の高原をめざして登ってゆくと各所に柚子の無人販売所があって
たまには道端の柚子の木から零れ落ちた金色の実がころころと山道に散乱していたりもする。
かつて所属していた天文同好会の仲間と活動の一環として高原に観測所を手作りで建てたのはもう三十年いじょう前のことになる。
いまでは同様の観測所がちいさな群れをなして星の里とも呼ばれているらしい。

たまにぶらりと訪れてみるその場所は僕の懐かしい小宇宙への入り口でもある。
秋には一面にコスモスが咲き乱れているわけではないのだが僕は
かってにこころのなかで近くを走るコスモス街道になぞらえてコスモス高原と名づけているのだ。

これからは空と風に会いにゆくのにはちょうどいい季節かもしれない。






散文(批評随筆小説等) 短い季節たち Copyright 梅昆布茶 2012-09-02 07:00:18
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