絵描きの鳥
kawa

反射的に目を閉じて、何かが溶けて冷たく頬を流れたので、私はそれが雪片なのだ、と知り目を開けた。
私は雪原で、キャンパスと向き合って立っていた。

そこには雪原しかなかった。
遠くで森が寝そべっていたり
ところどころ草原が息をついているような偽物の雪原ではなく
地図の完成する前の時代の、獣しか知らない山奥の湖のような
完璧な雪原だった。

雪は無表情に降り続けていて
私ははじめてみた工業機械の部品を手にしたように
絵筆とパレットをぶら下げ
真っ白い空と雪原の間に地平線を探していた。

雪原を描くのだ

と声がして、私はようやく、傍らに男が立っていることに気がついた。
なにやら描かなければ仕方のない心持ちになった私は
一度持ち替えた筆を役立たぬ位置に留めながら
果たしてこの視界の全てが真っ白の雪原をどう描いたものか、と戸惑ってしまった。
それから、急にむかむかと腹を立てた。
何故私は絵など描かねばならぬのだ。
私は絵など嫌いなのだ。
今日においては、絵などすでに役目を終えた幽霊のようなものではないか。
私を、そのようなものに取り入れるな。
生きている私を、幽霊にするな。
そう腹を立てた。

すると男は私の筆をとり、黒の絵の具で、一筆がきに鳥を描いた。そうして

ああ、自由だよ

といった。
私は、男の水色の瞳に雪片が落ち、それが眼球の上でゆっくりと鳥の形に溶け残ったのをみて
ああ、この男は死んで鳥になったのだ、と理解した。


散文(批評随筆小説等) 絵描きの鳥 Copyright kawa 2012-08-20 06:46:42縦
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