歌謡曲日和 sasakure.UK -ぼくらの16bit戦争-
只野亜峰

 こんばんわ。いつもあなたの寝床に這い寄るラブリーチャーミングな墓荒らし。私只野亜峰でございます。最終考察書くためにあさきばっかり聞いてるとそれはそれでメンタルヘルス的にえらい事になるので、現代の萌え文化の象徴である大天使ミクさんを筆頭としたヴォーカロイド旋風の中に身を潜め、しばしの憩いの時間を堪能している今日この頃ではありますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 現代詩なんていうハイカラな文化を嗜んでいる皆様におかれましては、ヴォーカロイドなんていう俗物に興味の無い方も多いとは思うのですが、あれはあれでなかなか面白い存在でして、まるで興味ない皆様もとりあえず週刊ヤングジャンプの「週刊はじめての初音ミク」あたりから入場して頂いて、ニコニコ動画に蔓延る魑魅魍魎のような楽曲に慣れ親しんで頂きますと、新しい扉が開けちゃったりなんだりするかもしませんので、とりあえずその扉には触れない事をお勧めします。ちなみに個人的にはデッドボールPとかも好きです。

 まぁ、そんなこんなでそろそろ三十路の扉が迫ってきた高層年齢の私にとって最初に触れたネット音楽文化というのはBMSというムーブメントでして、これは当時から現代にかけて人気を馳せたコナミの音ゲーであるビートマニアを模して作られたPC用のフリーゲームbm98に端を発し、今に至るまで著作権的な問題も孕みながらメーカーの黙認という形でかろうじて今も残っていたりしますが、youtubeもニコニコ動画も無い当時においては著作権のグレーゾーンをひた走る媒体の一つであったりもしました。しかしながら自由に曲を拡張していける性質はアマチュアの作曲家にとっては絶好の発表舞台であった事も事実で、BMSでの活動を足がかりにプロのステージへ羽ばたいたり活動の幅を広げた方も少なくないんじゃないかななんていう風に思います。今ではニコニコ動画がその役割を果たしているとも言えますが、個々の作品にかかる熱量は当時のほうが高かったんじゃないかななんていう風にも思ったりします。まぁ、ここは回顧厨のおっさんの戯言ではありますが。
 ともあれ、そういったBMSムーブメントの中で出会ったBMS作者の一人がこのsasakure.UKであるわけです。無駄に壮大だったり無駄にぽわぽわしていたりする作風にすっかり惚れこんでしまった僕はそれはもう日がなシナモンやらXやらをピコピコ叩いて遊んでいたものですが、やがてBMSブームも下火になって自然と遊ばなくなったりしていたわけで。なので、ニコニコ動画でsasakure.UKの文字を見つけた時にはそれはもう飛び上がったものでした。相変わらずのピコピコ感にそれはそれは歓喜した僕は以来この曲を聞き込む感じになり、今度アルバムでも買いにいこうかと画策しているわけであったりするわけです。
 まぁ、個人的な思い出話はほどほどにしておくと致しまして、この曲が流行った当時と言いますのがちょうど石原の爺様が非実在青少年がどうとか言い出した問題が囁かれてた時期で、16bitという言葉を二次元と捉えて二次元弾圧に対して反旗を翻す時が、来たのだー。なんていう風にハッスルする方たちもおもしろい事になっていたりしましたが、石原都知事といえば基本的に保守的な方ですので最近は尖閣問題で面白い事してたりして応援したら良いのか反旗を翻したら良いのか微妙なところですが、保守成分がわりと不足してる今の日本ではとりあえず応援していた方が無難な気がしていたりで非常にアンニュイな今日この頃だったりします。ただしアグネス、てはーはダメだ。

 あんまり娯楽文化の嗜みに政治的主張を組み込むのは趣味では無かったりするのですが、最近はむしろそういうのも娯楽の楽しみ方の一つだったりするんじゃなかったりするんじゃないだろうかと思ったりで、例えば忌野清志郎のTHE TIMERSなんていう覆面バンドではむしろこういった社会的な問題を積極的に扱っていてロボトミー殺人事件を題材にした「トカレフ」でありますとか、「宗教ロック」「偉人のうた」「税」なんていう過激な歌が枚挙に暇なく結構ありました。忌野清志郎といえばRCサセクション時代から歌われていた「サマータイムブルース」や「LOVE ME TENDER」なんかが反原発の歌として知られていて、僕が初めて行ったFUJIROCKでもホワイトステージで元気にサマータイムブルースを歌う姿を良く覚えていたりします。反原発の歌といえばブルーハーツの「チェルノブイリ」なんかも有名な歌であるかもしれません。
 とはいえ当時は「反原発」というメッセージにあまりピンと来ないところがあったのも事実で、3.11の東日本大震災の原発事故以来積極的にサマータイムブルースが取りざたされていたのはむしろ違和感を覚えたりもしたものでした。忌野清志郎のコアなファンとは言い難かった僕が清志郎のこういった政治的なメッセージに対して興味を持ったのはむしろ彼の死後の事でしたし、今思えば甲本ヒロトがチェルノブイリを歌うことをやめても清志郎がサマータイムブルースを歌い続けたのは原発の脅威を知らない若年層に対する警鐘のアプローチとして一定の意義があったようにも思えますが、それでも3.11以降の原発アレルギーとも言える諸所の活動に対しては冷ややかなものを感じざるを得ないわけです。この違和感をはっきり感じたのがその昔Hi-standardというバンドを率いてインディーズシーンを盛り上げた横山健その人のツイッターであるわけですが、問題に対する無知を自覚しながらもまるで夢遊病のように反原発の発現を繰り返す彼の姿にはっきり落胆してしまった僕は一抹の寂しさを感じつつも、その後も様々な思惑に絡め取られていく反原発思想の姿を目の当たりにしてくると、どうにも素直に受け入れられなくなったりしてきたわけだったりするわけです。忌野清志郎が細々と、しかし力強く発信し続けたサマータイムブルースがこのような一過性のプロパガンダに利用されてしまうのはどうにもやるせないものがあります。

 確かに原発ビジネスなんていうふうに揶揄されるほどに巨額の資金と利権の渦巻く原発問題には一市民である僕なんかには考えが及ばないような暗い部分が漫然と存在しているのは確かにそうなのでしょうけれども、かといって容易く反原発のムーブメントに恭順してしまうのはこれまた望ましくないように思ったりもします。脱原発運動自体は個々人の主義や正義に準じて行われるのですから好ましい事のように思うのですが、反原発デモ等のこういった活動の陣頭指揮には必ずといっていいほど思想的に偏ったよからぬ人間が紛れ込んでくる事も否定できないわけです。よからぬ連中というのはもちろん日の丸や君が代に異常な嫌悪感を示すあの連中の事だったりするわけです。
 積極的な活動自体に問題があるわけでは決して無いでしょう。知見を深めるも良いですし、声を上げて不条理を訴えるのも悪いことではありません。しかしながら、かつての学生運動がそうであったようにそこには必ずよからぬ思惑が渦巻いている事も否定できないものです。そういった大きなうねりの中で個々人の主義と正義を守ることはおそらく容易い事ではありません。自らの主張がいつの間にか異なる他人の正義にすげ変わっていたとしても不思議は無いのです。朱に交われば赤くなるとも言いますし、行動を起こそうという時は自分が行動を共にする人間が何者であるのかを過不足無く真摯に見極めることが重要になってくるように思います。残念ながら今の世の中には他人の情熱を自らの暴力に取り込もうとする人間がわりと溢れかえっていたりするものです。それでもあえて大きなうねりの中に身を投じるのであれば、他者の正義が介入する間もないほどに強固に構えることが重畳であります。個人の正義はその個人だけの聖域です。たやすく他人の侵入を許せばロクでもない事になる事はうけあいであるでしょう。


 さて、そろそろ肩が凝ってしかたがありません。慣れない政治的主張なんてするもんじゃないですね。小難しく考えずに娯楽は娯楽として享受するのがなによりであるというお話でした。おとなしくささくれPにベキベキされてるのが一番ですね。それでは亜熱帯の片田舎より私、只野亜峰がお送りしてしまいました。どうかあなたの掲げる正義が異なる誰かの正義に蹂躙されぬ事を祈って。



――GOOD LUCK.
――幸運を祈ります。

めぐっぽいどオリジナル曲】ぼくらの16bit戦争【PV付き】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7610111


散文(批評随筆小説等) 歌謡曲日和 sasakure.UK -ぼくらの16bit戦争- Copyright 只野亜峰 2012-07-21 21:01:47
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