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葉leaf
ここはどこでもない場所だから 方角もなければ外部もない 僕らは役目を終えて散った花びらのように自由さ だから国家に歯向かう必要もなければ 国家に従属する必要もない 革命も運動もインテリ気取りも大統領になることも すべて可能だけれど何の意味も持たない とりあえず政治も文学も捨てよう
緑色のタヌキが人里を笑いながら通り過ぎて行った それは救世主が救世主であることをやめた日だった 赤色のペンギンが足元の氷を割って聖句を囁いた それは現代の十字軍が使命を忘れた日だった 紫色の少女が中心街で大きなラッパを吹いた それは強い画家たちが一斉に絵筆が目障りに思えた日だった
氷のような風の布地が 火照った体の強いられた演技を癒していく この快楽はいつの日の絶望の代償だろうか 同じような氷の風が 冬の日に僕を切り裂いた あのときの快楽の傾きは 今日初めて平均されるのだろうか 民族紛争の映像に見たあの日の風は 戦う人たちにどんな快楽を与えたのだろうか
生きるというただそれだけのことがとても悲しくて、涙が出るほど悲しくて、僕はつと立ち上がると外へと駆け出していったのです、外は小雨で地面は濡れ、僕は蓄えた悲しみを持て余したまま遠くの森を眺めていました、この風景を信じる、そしてこの悲しみを信じるということ、それでも救われない気がして
筋肉の運動があらゆる方角へと骨格の凝った視線を閉ざしてゆく 今血液は一つの刃として確かに海の中を流れている 今風景はことごとく二十の爪たちから反射されて都市を彩る 論理の大木は伐採され感情の大蛇は脱皮した 全てが集まってくるこのゼロの肉体において全てがすれ違い互いを勘違いしていく
僕はこの霧の外側にいる ストラヴィンスキーの覚醒に追いつくために いくつの星座を解体せねばならないのか 僕はこの体の外側にいる ストラヴィンスキーの発情を葬るために いくつの晴れた空を割らねばならないのか 僕はこの詩の外側にいる ストラヴィンスキーよ、僕に孤独を与えた張本人よ
I'm not a poet because I have ever written many poems.(私は詩人ではない、なぜならこれまでたくさんの詩を書いてきたからだ。)
夜があまりにも静かだったので、僕の脳髄もあまりにもとろけ落ちてしまいそうだったので、ドヴォルザークを聴きました。ドヴォルザークは僕の聴覚なんて局所に集中しているのではなく、宇宙の静寂を別の角度から切り取って来るような響きでした。こんなにも宇宙は何もないのに均衡や軋轢で満ちている。
「学」という字のつく言葉が好きだった。物理学に始まり、哲学、法律学、と。そこにある古びた高級家具の香りの様なものが好きだった。貧乏貴族の愁い、没落貴族の意地、そんな風合いがするところも好きだった。もちろん、それぞれの学ごとに印象は微妙に違うのだが。中でも「文学」というのは一味違う
僕は僕たちではなく私たちになっていった 僕も私に姿を変えていった 僕たちが抱いていた自発的で尊い唯一のものを失って 私たちに組み込まれている受動的で機能的で普遍的なものを獲得した 僕の抱えていた孤独や愛もいつの間にかこぼれ落ちて 問いかけ続けていく自己や他者が私を次々と組成してく
僕たちは幾つもの季節を投げ打ってきた 意欲の深い季節や喪失に怯える季節、実り豊かな季節や交通の煩雑な季節 そこから返ってきたとりどりの物質たちに現在を捧げて 僕たちとは誰でありどんな表面であるのか 毛布にくるまれた音楽がいつも僕たちのような気がして そして僕は僕たちでなくなった
船に乗りましょうとあなたは言った それより今何時ですか? 私は昔からこういう性格なのですとあなたは言った それよりここどこですか? 芍薬の花がとてもきれいですねとあなたは言った それよりあなた誰ですか? 私の気持ちを分かって下さいとあなたは言った それよりご飯はいつですか?
ドヴォルザークが血液と交差した日没前 僕はカーテンの隙間に意識の隙間を際限なく送り続けて それが僅かな光となる度に失望しては体温を高め 音楽は名前を失くして純粋な「彼」に還る 僕は体の各部位の角度を少しずつ歪めていき 水位などという平準化に植物を生やし 再びドヴォルザークと呼ぶ