あの
榊 慧

 死ぬしかなかったので、一回目はやり方に失敗したと思い、致死量を調べて自殺(自殺未遂となりましたが)したのです。

 …今でも本当は何も食べずにへらへらすごして野垂れ死にしたいです。食欲ははっきり言ってないんですけど食べないと医者が怒るから食べないといけないんで食べてます。じゃあ医者に行かなきゃいいじゃんね。俺もそう思うんだけど薬もらわないと、とか。だって薬飲んでてこの状態だもん。小三から自律神経失調症になっていろいろなんやかんや。小五からはじめて幻覚ないし幻視がみえるようになった。いつどこを見ても視界の右斜め上あたりにぼやあっとムンクの叫びの絵が映るのです。俺は美術が大好きで図書館も好きで通ってましたので色んな本(そのときはその年齢らしい児童小説なんか読まなかった。社会のことに興味があった。小三〜小六は。)を読んだ。画集も大きい本を抱えて、自転車のかごには入らないから図書館の机でおじさんたちに混じって見つめていた。から、ムンクの叫びがどういう絵かはすでにそのとき(本物は今も見たことはないけど、)知っていました。周りの叫びが聞こえてきてる。そういう解釈でした。

 徐々に弱っていって、そんで仕方なく弱って死ぬ。それが、



散文(批評随筆小説等) あの Copyright 榊 慧 2012-07-11 21:17:47
notebook Home 戻る  過去 未来