自己申告2012
木原東子

如何に生きた、尋ねる声がする

平和でした
知識と技術と民主主義の時代でした
学び続けています
誰かを助けたりはしませんでした
世間のひとすみで労働をお金に換え
蝸牛のような家を借り
夫婦して子を数人育て上げました

子は労働を愛し、子を生し幸せです
生物の一種としての原則を全うしました

やがて病を得て死が最後の体験となるのでしょう
この身を束ね、意識を司っていたシステムが崩壊する
おそらく粒子にまでもどるかも


五感で感じる物質の世界は
脳のキャバシティと仕組みの産物とは言え
万緑、満天の星、百花繚乱、空と海、地下の命の形まで
月も地球のマグマも、食べ物も万事塞翁が馬でうまく回っていました

ていうか(失礼、タメ口で)
つまり逆に、うまくいかなかった生命は枯渇したのですが
そうでしょ、適者生存
あ、そうですか、あなたは別に創造主でも全知全能でもないと
あ、むしろエンマさま?

嘘も方便、袖の下、おべっか、お世辞、長いものには巻かれろ
なんて悪知恵騙し合い取り合い(殺し合い)
差別と嫉妬色欲金欲名誉欲際限なく
無い物ねだりと不安症摂食障害エトセトラ
無かったとは言いません
苦しめた人もいますし逆もありました
であるのに
こうして無事に生き得たことを誰に感謝しましょう
可もなく不可もなく、ラッキー

こんないい加減な運不運でいいのでしょうか
ぶつかった運不運に値しようがしまいが

反応は何も無し?

オーケー、もういいですわ、
個人的には当然、問題は残りの時間、ですよねえ
悪あがきしても結果はついてこない
それくらいなら楽しむ方がいいに決まってる

でもねえ、楽しいことって
例えば何? 楽しいかもしれないことは遠すぎたり不可能だったりあるいは
不能だったり、なんて

詩のためにぐだぐだ書いているのじゃありませんから
真剣に無い知恵を絞っているんです
尊厳死と安楽死が約束されていたら
眼を丸くして驚いて死を迎えなくていい
できうれば
死の後のことがわかっていれば
ゼロか、守護天使になるのか
そのどちらかを信じて死にたいと思います

どうでしょうか
受け取り拒否、、、、
はい、また来年度に


自由詩 自己申告2012 Copyright 木原東子 2012-07-09 00:29:01
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