いきる(脳力)
梅昆布茶

この世でいちばん無用なものはなにかというとじぶんなのだが
それでは書き手がいなくなってしまうので
とりあえず駄文を綴れるうちは生かしておこう

いつも思うのだがじぶんを生存的に維持するだけならさほどのものはいらない

偉大なるお馬鹿友達のてし坊くんはこの前まで西葛西の賃貸マンションに
ロスでひらった(広島弁か...?以前大好きなともちゃんがつかっていた)彼女と暮らしていたが膀胱がんの療養もあって
実家のある名古屋で家賃15000円の市営住宅の一人暮らし

収入はネットでおもに得るらしいが株とCDや書籍やらの売買手数料でたかがしれているし
彼女ももう消息もわからないというケサランパサランのようにふわふわ怪しい浮遊物体のような奴だ
でもエコ人生の先輩としていちおうの敬意は残してあるし

もっとも人のことを言える立場にない私ではあるが...

人間がかってに土地や物に所有権を設定し消費のための生産流通システムを自らにしょいこませ
その巨大なバルーンをあげ続けるるためにぼくらは時に寝る間を奪われ精神と肉体を拘束服で包む

時には逆に仕事や社会的アイデンティティーを奪われ無聊をかこつこともしばしばみられる日常茶飯
ホームレスもリアリティーをもって同感できるこんにち

新幹線や高速道路はスピードをあげてのどかな日常を戯画化し食い尽くしてゆく
そこにはいもがらのようにひなたに置き去りにされてゆく郷愁が哀しげに佇んでいるだけ

西鶴は日本永代蔵等の町人物のなかで俳人らしい洒脱さをもって貨幣経済の浸透が江戸期の庶民にもたらした悲喜こもごもを描写して
それはまるでいまの世の影絵のようにはかない人間の童話にもおもえる

描くところの恋愛模様も寛永〜元禄年間の上方庶民文化爛熟期でありバブルのあだ花としてのきらびやかであやしいうつくしさをもって
当時の遊郭と遊女や歌舞伎若衆らが太鼓持ち的なかれの眼を通じてちょうどいまの韓流っぽい色合いで時代から浮かび上がってくる

いずれにしても断舎離まではいかないにせよ無用でなおかつこころひかれる幻影に翻弄されるのが人間のかなしい属性であるならば
それを認めたうえで不要なものをまたかなしい努力で取捨選択してゆくしかないのかもしれない

ひとついえる事はすべてをもつことはできない
ものも恋愛もしかり

ぼくたちはカタログ文化の寵児としていさぎよく
「ポパイ」のページをやぶりすてなければならない
さもなくば自身がきょだいな幻影のカタログの一部としてポルシェやレンジローバーに
惑わされて生きていかざるを得ないのかもしれないのだ

そのなかでのわずかな光明はささいな庶民の知恵である

じぶんのもつべきものを取捨選択することとそれを行使する(脳力)
それはすくなくともわれわれが
あまり対価を支払わずに手に入れることのできる
ささやかで最大の
そして最良の才能ではないかとおもうのである





自由詩 いきる(脳力) Copyright 梅昆布茶 2012-07-01 03:59:29
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