歌謡曲日和 -THE CRO-MAGNONS グリセリン・クイーン-
只野亜峰

 そんなこんなで暇なので二日連続でのこのコーナーなわけですが、先日遥か彼方の将来に一緒になっても別にそれはそれで良いんじゃないと思える気がしないでもない娘さん、略して彼女と子供の頃にやった遊びについてなんて語っていたわけですがその中の一つに「シャボン玉」なるあの奇怪な遊びの話題が出たり出なかったりしまして、なんとなく手元にあったパソコンでシャボン玉の作り方なんぞをグーグル先生に尋ねてみたところ現れたのが「グリセリン」という単語であったわけです。シャボン玉といえば野口雨情の「シャボン玉飛んだ〜」のあまりにも有名な詩があったりしますが、この詩も夭逝した雨情の娘さんを歌った詩であるだとか、いや不特定の子供の命を儚んだ鎮魂歌であるだとか、そもそも死と繋ぎ合わせる事自体に根拠が無いという話があったりで雨情の親族においても解釈が分かれるような非常に包容力のある作品であったりします。
 では、そんなシャボン玉においてグリセリンがどのような役割を果たすかといえば保水力であったりするわけで、科学的な話は全くちんぷんかんぷんな私ではありますが、グリセリンを添加する事によって割れにくいシャボン玉ができたりもするんだぜという事が教えてgooに書いてあったりしました。いやはや世の中何が何処で関わっているかなんてわかったものじゃありませんね。

 ザ・クロマニヨンズと言えば、ブルーハーツ時代からの盟友の甲本ヒロトと真島昌利を中心に結成されてるバンドで、ザ・ハイロウズの尻とちんこを目掛けてライブハウスを追い掛け回してた僕らの世代からすると嬉しさと切なさを併せ持ったようなバンドだったりするわけですが、若い人達が今もライブでハッスルしてるのかと思うと何やらやっぱり胸にこみ上げてくるものがあったりなかったりするわけで、余裕ができたらまたスタンディングオールの荒波の中で熱狂したりしてみたいなぁ等と歳を感じる今日この頃だったりするわけです。
 そんなこんなで僕が「グリセリンクイーン」という曲に出会ったのはクロマニヨンズを特に聞き込んでいたわけでも無い二年前に、件の彼女と付き合う前ぐらいに大喧嘩してヤケのヤンパチになっていたところに偶然にも、かつて一緒にハイロウズのちんこを追いかけ回していた高校時代の友人から「たまにはライブでもいかねーか」と誘いがあり、ホイホイついていったのが横浜ブリッツ。そこで演奏されたナンバーの一つがこのグリセリンクイーンであったわけです。クロマニヨンズの歌といえばハイロウズ時代を知る我々の業界にとってはあまりにもシンプル過ぎるという事で、とっつきにくい部分もあるのですが、良いものは良いというかエイトビートだの鉄カブトだの良い曲が多かったりでよくもまぁ、20年以上のキャリアがあってこれだけホイホイ曲が作れるものだなぁと思ったりもするのですが、やっぱりキャリアを重ねるごとにどんどんと歌詞が必要以上にシンプルになっていたりしまして、グリセリンクイーンの歌詞も文字に書き起こすと吃驚するほど短かったりします。

 さて、そんなこんなでグリセリン・クイーンという曲は長い間疑問の残る曲であったわけです。作者が歌詞に込めた意味を読み解かずにはいられないという墓荒らしのような悪趣味な性癖を持った僕にとって「グリセリン・クイーン」という題材はもはや意味のわからない存在でありました。スージークアトロの模倣であると言ってしまえばそれまででまるで面白みが無い。日本で生まれ育った彼らの感性だからこそ生まれでた言葉で無ければタイトルにひっさげる意味が無い。というわけで最初は爆薬であるニトログリセリンの事かとも思ったのですが違和感は拭えない。ならばグリセリン自体に何か特異な性質があるのかと思ったけれども何も掴めない。第一なんでそのグリセリンの後にクイーンが続くのかと思うともうちんぷんかんぷん。そんなこんなで解読をするのも諦めてグリセリンクイーンという大きな疑問をぶら下げたまま日々を過ごしていたわけですが、何をどう間違えたらこうなったのか、まさかの雑談からの疑問解消で世の中というものはまったくもって摩訶不思議にできているものだなぁと思ったりしたわけであるわけです。

 グリセリンクイーンのジャケットと言えばトランプの12であるクイーンの絵柄を模して作られていたりしますが、クイーンの絵柄といっても実は一緒くたではなく、絵柄によって題材が異なっていたりもします。かつてフランスでデザインされたトランプにおいてクラブの絵柄はモデルはシャルル7世の妻であるマリー・ダンジューをモデルとしたアルジーヌ。ダイヤは旧約聖書ヤコブの妻のラケル。ハートはユダヤの女戦士ユディット。スペートはギリシャ神話トリトンの娘パラス、若しくは友人であるパラス・アテナ。といった感じで向こうの神話にあまり明るくないので言及できないのは残念なところではありますが、ともすれば呪術的なニュアンスをも内包させるトランプの絵柄というものはそれだけで想像力をかきたてるものがあります。まぁ、現在流通してるトランプの絵柄はどれも一緒なのでどうでも良い与太話ではあるのですがね。

 シャボン玉の保水性を強めるグリセリン。トリトンの娘パラスと友人アテナを模したクイーン。なんだか面白い材料が揃ってきました。この妄想が的を射ていたと仮定してファンの間では文学少年として知られる真島昌利が二つの題材をどのようなロジックで調理したかは結局のところ真島昌利のみぞ知るといったところではありますが、こんな風に墓荒らしチックに妄想を爆発させるのは我々の業界では至極のエクスタシーであったりします。
 いくらグリセリンを添加したといってもしょせんはシャボン玉。強い刺激を受ければあっけなく消えてしまう儚い存在であるわけです。99本のエレキギターをそれぞれに手にした少年少女。オムライスが自慢の古ぼけた食堂。吹けば飛ぶような儚さと触れれば壊れてしまいそうな脆さを内包しているからこそ人間の一生は面白い。人生なんて一夜の夢のようであるけれども、だからこそその一秒一秒に価値があるんじゃないかとか。どこか物悲しい寂しさを感じさせるグリセリンクイーンという曲にはそんな文学少年的な侘寂が込められているのかもしれません。


散文(批評随筆小説等) 歌謡曲日和 -THE CRO-MAGNONS グリセリン・クイーン- Copyright 只野亜峰 2012-05-27 21:07:50
notebook Home 戻る  過去 未来