吉本隆明『芸術言語論』概説
石川敬大

 二〇〇八年七月一九日、昭和女子大学人見記念講堂に於いて八三歳の吉本が「自分がしてきた仕事が全部ひとつにつながるということを話してみたいんです」と希望して実現したのがこの講演会であり、至極当然のごとく「言語について」をテーマとして、タイトルを『芸術言語論』としたそのことは、吉本が没したいま、彼の生涯を俯瞰し概説するとき、とても象徴的な選択であったように思う。

 戦時中、主戦主義者であった青年・吉本が、敗戦時の価値観が転覆する世相のなかで「世界を把握する方法をもてなかったら生きてく甲斐がない」、「わたしに足りなかったものがなにかと(略)考えぬ」き、「世界を知る方法として」選んだのがアダム・スミスの『国富論』からカール・マルクスの『資本論』までの、いわゆる古典経済学を検証することだったという事実は、吉本が目指した方向性、つまり詩批評や文芸批評に留まらず、家族や国家といった社会学、民俗学や哲学、宗教学に社会現象であるカルチャーやサブカルチャー、心的現象や人生論まで幅広く考察することになる、その後の思索遍歴とテーマの展開を示唆する重要な出来事であった。言い換えるならば、敗戦前までの価値観が転覆してしまった「精神と生活のどん底」にあった青年・吉本が、世界のどこに、どんな学問の分野に、世界を把握する価値あるものが存在するのか頭を巡らせたとき、社会学・哲学・心理学、政治学ですらなくて経済学の原理で、地に墜ちてしまった価値観の再構築を図り、世界を認識しようとしたそのことに驚かされる。経済学の原理や認識と、「それまでやってきた(略)おのれの文学的素養とを(略)直結・連結させようとした」と言うが、究極的には外部に対し経済学の原理をアイテムとして、既存のバリュー(価値)に戦いを挑むことであり、翻って文学青年であった自らの心の闇、正体、無意識、文学性や芸術性の価値を、生きる価値を測ろうとしたのだと思う。具体的に言うならば、カール・マルクスや『資本論』から学んだアイテムである、「あらゆるものごとを起源に遡って考えぬき、緻密な論理を組み立てるという方法論」と、「抽象的であり、同時に原理的である論理の発展」という思考原則で、傾倒し到達した古典の普遍的な価値と「時間の不可思議さに対する驚異の念」「永遠とは何であるのか」(『伊勢物語論』より)を融合させ、そして結実したのが一九五二年に私家版として発行した詩集『固有時との対話』であった。

 吉本は、他人とコミュニケーションを交わすために言語はあるのだという考え方を第一に否定し、言語は二つに分けることができるとした。それが
・自己表出(表現)…心の動きが自然に表れた言葉
・指示表出(表現)…対象を指示し、情報を伝達するコミュニケーションの
 機能をはたす
自己表出を言語の「幹」や「根」となるもの、本質は沈黙、言語にならない沈黙こそ最も重要なものであると考えた。一方「情報を伝達するコミュニケーションの機能をはたす」指示表出は、「枝」「葉」の問題であり、言語にとっては本質的なものではないとした。さらに表出(表現)とはなにかと言えば、自然と人間との交通路のことであり、「あらゆる自分のやったこと、言ったこと、考えたこと、(略)他人に伝わっていないようにみえ(略)ひとりごとを言っているようにみえても」、「表現をすると自然は変化する」「自分の方も自然から表現され(変化させられ)てしまう」、そのような「人間と自然と(にある)相互作用」は重要な事柄であると吉本は言う。この「自然」とはなんだろう。字義通りのひとの手が加わらない天然のもの、という意味なのか。それとも表出(表現)者にとっての内面・精神性のことを指すのか。その概念がよく理解できなかった。第二章の『精神と表現の型』はさらに難解であった。具体的に森鴎外、夏目漱石の作品を例に「芸術言語はきわめて明瞭に宿命を指さす」と結語するのだが、作品、言葉に表された芸術言語、(作者の)生来の精神構造をつなぎあわせたときにそれは表われると言い、「文芸批評という領域がありうるとするならば、作品と作家の関係、言語と作者の精神関係とが強い糸で結ばれていると明瞭にできれば、そこ(結語)までゆく」とし、その方法論こそ「普遍的な(あらゆる)芸術の言葉に適合できる」と敷衍する。吉本のこのような類推する力、飛躍力や直観力には敬服するのだが、この強引とも思える恣意に基づく展開は難解で手強いものだった。

 最後の四章は『芸術の価値』、言ってしまえば芸術は、文明的価値や経済的価値をもたない。「自己表出と自己表出とが出会うところにしか求められない(略)偶然以外には、芸術は価値を共有することも否定することもできない」ものであるらしい。経済学の原理である労働価値論で言えば、「(作品に手を加える時間の)労働価値を増せば増すほど良い作品ができる」わけではない。むしろこういう「近代初期の見方(価値観)は危うい」と吉本は指摘する。状況論的に言えばそれは、近代初期の問題ではなく現代や現在においても同じだ。自己表出と指示表出を、縦糸と横糸の巧みに編まれたものとして横光利一やドストエフスキィの作品を例示するのだが、自己表出をシカトし疎外して、指示表出であるコミュニケーション言語を、ポップで明るくウケの良いものと全面肯定するのが現代・現在の文化的風潮であり、合理主義・ファンクショナリズム(機能主義)を価値あるものとするのが、現在進行形の経済中心の社会原理ではなかったか。吉本の戦闘アイテムであった経済原理と、戦時中「詩は遺書として」と考えた文学青年・吉本の、自己表出である沈黙との間にあった遠い射程、その距離の広大な沃野こそ吉本〈学〉の業績だったし、極論すれば、思想界のみならず社会的な名声は、吉本をして数少ない芸術・文学に対する擁護者、いや両サイドに軸足を置いた文化人だったと言えるのかもしれない。戦後、かれの言説の出発点に『転向』問題があったが、それは敗戦前、主戦主義者だった吉本自身の問題でもあったし、吉本〈学〉の暗い闇の原点は「精神と生活のどん底」の時代にこそあったのだと言えるだろう。


散文(批評随筆小説等) 吉本隆明『芸術言語論』概説 Copyright 石川敬大 2012-05-15 19:01:05縦
notebook Home 戻る  過去 未来