辺見庸『眼の海』を読む
石川敬大

 詩には詩の体裁があり形式がある。散文詩など例外もあるが、詩とは行分けの韻文であり、韻律を重んじるリズム感や音感をもつ文体のことである。広辞苑で〈詩〉の項をみると「風景、人事など一切の事物について起こった感興や想像などを一種のリズムをもつ形式によって叙述したもの」とある。また〈散文〉とは対立項の〈韻文〉をみると、「詩の形式を有する文。すなわち、単語・文字の配列や音数に一定の規律のあるもの」となっている。したがって詩が詩として成立するには「リズムをもつ形式」をもって「感興や想像など」書き手の主観を「叙述」することこそが必須条件であるらしい。

 なぜわたしが、こんな初歩的なことから書き出さねばならなかったのかといえば、辺見が書いた詩文のスタイルがもつ始源性や根源性の渦が、作者があずかり知ることか知らずか詩史と詩の現状に対して異を唱え、あるいは棹さすように出現したように思えたからだ。前詩集の『詩文集 生首』(毎日新聞社)は、まさしく痛快にして激烈にそうであった。詩の素人であると自ら卑下するかのようにタイトルに「詩文集」の文字を入れた姿勢もさることながら、詩の世界に精通する詩賞の選考委員である詩人たちを驚かせまた面白がらせ、著名な詩人の名を冠する賞を贈呈するシーンが詩史上において演じられることになったのも、その渦がもつ力が及ぼした衝撃の大きさを証するものであった。

 詩史と詩の現状に対して「異を唱え」「棹さおよう」な始源性や根源性の渦をもっていたとはどういうことだったのかといえば、一つには彼の書く詩文が形式的には未成熟であったことがある。散文の側から詩に接近する文学者が書く、既成の形式に捉われない無手勝の流儀が、新鮮な魅力として受け取られたといえるかもしれない。だがもっとも大事な要素は、辺見という文学者が小説だけではなく、何冊もの社会派ノンフィクション作品を書いてきた経験値によって、透徹した視点と重層的で守備範囲の広範な、豊富な知識から齎された知性の思考スタイルをもった書き手として、主観者・主体者として、とてつもなく強者であったことが核心にあるのだと思う。さらにいうなら、詩や詩にしようとする事柄への思いの深さがよく読者に訴えかけていたのかもしれない。だから読後の印象として、圧倒的な存在感、筆力ゆたかな力感があったのだろう。彼には、文字で訴え得ること、言葉への揺るぎのない信頼性も、心的背景にあるのかもしれない。詩の形式に不慣れゆえの荒々しくゴツゴツした語感がマイナスにならずに個性になった。魅力になった。彼のライフワークとしての社会や国家に対する疑惑や疑念が、詩作品では同時に、私的に内向して、おのれの内部の癒されない傷痕に無骨で粗野な指先を触れさせ、あまりの痛さに呻き喚いて、呪詛が祈りになり願いともなって、読者の前に無造作に投げ出された。そんな読後の甘みのない苦い果汁がとてつもなく衝撃的で、それだけにいろいろな感想が頭に浮かんだ。これが詩であり詩集なのかという思いがその第一であったが、詩の形式を踏襲しているものの、主観者・主体者としての強者が書く詩の圧倒的な筆力は、皮相な思いつきに発した惰弱な現代詩群に対するアンチテーゼともなった。神話的、啓示的、あるいは読みようによればある禍の予感にふるえていた『詩文集 生首』をイントロダクションとするならば、静寂に満たされた事後の世界として詩集『眼の海』はあった。

 そのスタイルは、前詩集に比べればずいぶんと荒々しさが薄れ、大人しくなった感が否めない。無手勝流の自在な流儀から、詩が詩としての形式を洗練させ、それゆえ詩史が保持するカテゴリー内に集束されかかった位置に守備位置をとっている。経験値が他流試合を経ることなしに和解を呼び込んだためとわたしは解釈する。その詩作品は、滅亡の予感に震える不安な光景の現出、顕在化であり、ある普遍性をめざして書かれているとも言えるし、自身の世界認識・宇宙認識上のデコンストラクション(脱構築)をめざして書かれていると言うこともできるだろう。いずれもひとつの側面を言い得ているということはいえるのではないだろうか。

 内容はもちろん3.11東日本大震災による故郷喪失というショッキングな出来事を端緒としている。とはいえ詩作品が、決して皮相で道徳的、独善的で情緒的になりがちな天災の「希釈された」報道言語的なものにはならなかった。いや、なりえなかった。なるはずがなかった。それは直截的で皮相な表現を回避しているとも言えたが、物事の深部に到達しうる者がとる手法を彼が熟知しているためだとも言えるのかもしれない。あまりにもあまりにも悲惨で凄惨だったあの天災で、目を背けたい心理が働くからではなく現代の詩は、限定的にことさら声高に言わなくても、ひとがひととして根源的である生死の境域を手探りしてきたし、ときに希望や夢や願いや祈りを語ってきた。だ、けれど、あの故郷の惨状と対峙してどう言葉で対処するかが辺見の課題だった。NHKのTV番組「こころの時代」で彼が語っていた3.11は、同時に自作詩の解説ともなっていた。「宇宙的規模でいえば、宇宙の一瞬のクシャミのようなものかもしれない」「パラドキシカルな出来事」ではあったが、「世界認識論上、宇宙認識論上、根源的な認識論上の改変を迫る」大きな出来事だったし、その心的衝撃は生半可なものではなかった。「ありえないこと(the impossible)は、あるかもしれないこと(the probable)と、さけられないこと(the inevitable)」に修正され、あの天災の凄まじさを「言い表す言葉を持っていなかった」ことを「思い知らされ」「茫然自失とな」り、「不安で」「せつなくて」「苦しくて」「哀しくて」「虚しい」、「空漠として」いて、「生きていることが偶然で、死ぬことが当たり前」の世界に、「絶望という」ものを「深めてゆく」ことで、絶望から「這いあがる糸口になる」と、「彼(被災した死者)と同じ気持ちを味わおうと、行動や行為をなぞってみる」ことを思い立つ。そうすることで、「私(個的実存)が腑に落ちる内面を拵えることで」、はじめて「希望がうまれる」のじゃないかと考えるのだ。まさにあの場に身を置くことで、言葉が堰を切って溢れだしたのだろう、あのときの津波のように。あのときの津波に素手で抗うように。詩作品『死者にことばをあてがえ』は、詩作品『海を泳ぐ蒼い牛』とともに、まさに身近な死者の「行動や行為をなぞ」るように、鎮魂の歌を唄うように、情感を全開にして書かれ、それ故に直截性が顕在化した本詩集中でも稀有な詩作品だといえる。


  わたしの死者ひとりびとりの肺に
  ことなる それだけの歌をあてがえ
  死者の唇ひとつひとつに
  他とことなる それだけしかないことばを吸わせよ
  類化しない 統べない かれやかのじょだけのことばを
  百年かけて
  海とその影から掬え
  砂いっぱいの死者にどうかことばをあてがえ
  水いっぱいの死者はそれまでどうか眠りにおちるな
  石いっぱいの死者はそれまでどうか語れ
  夜ふけの浜辺にあおむいて
  わたしの死者よ
  どうかひとりでうたえ
  浜菊はまだ咲くな
  畔唐菜はまだ悼むな
  わたしの死者ひとりびとりの肺に
  ことなる それだけのふさわしいことばが
  あてがわれるまで

         『死者にことばをあてがえ』全編より


 それらのほかには、ひとと圧倒的な物品たちの平等な日常に言葉を与え静かに語らせたかの詩作品『常の壁』、空間の記憶に言葉をあてがった詩作品『それは似ていた』、また詩作品『わたしはあなたの左の小指をさがしている』のなかの「解かれたモノたちの割れ目が黒々とむきだされる」という箇所や、「黒いカモメたちがつぎつぎに石化して/空からふってくる」といった詩行に、被災地に注がれた辺見の痛恨の思いが伝わってくる思いがした。そんな辺見の詩作品のなかでも、故郷で過ごした風景や知人・友人・親戚の記憶の断片や切れ端が登場し、だからこそ神話的で叙事詩的、短編小説のようでもある散文で書かれた詩作品『赤い入江』の詩的世界は、まさに彼の脳内に現出したミクロコスモスであり、故郷の真の姿のデフォルメでもあった。脳内だったからこそ故郷は、現実ではありえない自在な姿をして現出したのだと思う。以下に、一連目と二連目、それから最終連を引用する。


  かつてこの世にナンチ(Nanchi)というひとつの場所があった。世界でそこだけにしかない、ひとつのナンチだった。
  ナンチは未来になにも約束されていなかった。ただ、かわたれどきのナンチでは青い矢車草がいっそう透明に青み、
  ひとびとの吐息も青く澄んだ。コスモスも他の土地よりいちだんとうす青く、狂うほど美しく空を染め、風がその
  青をはこんだ。それだけのことだ。

  ナンチは南地と書くのかもしれなかったし難地なのかもしれなかった。サウスランド。サファリングランド。正
  確なところはわからない。ナンチには正確なところなんかなにもなかった。だれもナンチの仔細を知らないふりを
  していた。じっさい知らないのかもしれなかった。ひとびとは顔にはださず、たがいにうたぐりあいながら、いつ
  までも船出しない小舟のようにたがいに舫いあっていた。ナンチにはまったく大したことのない現在があり、短か
  すぎる過去となにもない未来を風景の緑ににじませていた。

     ( 中略 ) 

  冬場の未明、ナンチの赤い入江の上空は星々がもうすきまのないほどに増えて、万年前や千年先の気配に満ちるの
  だった。わたしは円盤を見にいこうと家をぬけだした。入江に着くと、円盤はもう飛びたっていてひとつもなく、
  星あかりにほのめく水際には、警察官の長女やジョロヤの女たち、カツヒコちゃん、髪ふりみだしたオイシさん、
  松林で首を吊った青年、厩舎の大男や女、宣教師たちが入江をかこむようにぼうっと両手を垂らして葦の陰に立っ
  ていて、よく見ると、みなびっくりするほどいたずらっぽく笑っているのだった。そうか、みんなもうなにか気づ
  いているのだな。知っているのだな。わたしはそのときそう合点したことを、ナンチが消えさったいま、惘然とお
  もいだして無人の入江のように哀しんでいる。わたしはすっかり肝をぬかれ、星々はわたしのなかの赤い入江をめ
  ぐっている。


 この散文詩では「ナンチ」という「ひとつの場所」が提出されているが、そこでの具体物であるべき名詞「矢車草」「コスモス」「ひとびとの吐息」「風」が、「透明に青み」「うす青く」「狂うほど美しく」染められ、抽象度が高くなる。ナンチは「南地」「難地」「サウスランド」「サファリングランド」なのか?と、解釈しようとすればするほど抽象度がさらに高まる。ナンチはもしかすると実在する場所ではないのかもしれない。いや実在するとかしないとかは取りに足りないことで、「ナンチ」を複層的・重層的に問うことで詩は、詩的実存を高め、顕在化することができることを知っているかのようなのである。なんといっても一連目の最後の「それだけのことだ。」のつきはなした距離感が、この作品を普遍性のある詩に昇華させている。そして最終連の、「万年前や千年先の気配に満ちる」ことで、最終的には自身の直截性を遠ざけ突き放した場所で、「星あかりにほのめく水際に」、「警察官の長女やジョロヤの女たち、カツヒコちゃん、髪ふりみだしたオイシさん、松林で首を吊った青年、厩舎の大男や女、宣教師たちが入江をかこむようにぼうっと両手を垂らして葦の陰に立っていて」、「みなびっくりするほどいたずらっぽく笑っている」のを、客観視するに至るのだ。「ナンチが消えさったいま」、わたしは、「無人の入江のように哀しんでいる」という、この宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に通底するかの哀切な、浄化された清らかな童話的世界は、慟哭の後の静寂にみたされることで、見事なまでに彼のミクロコスモスを完成させている。


散文(批評随筆小説等) 辺見庸『眼の海』を読む Copyright 石川敬大 2012-03-19 16:28:41
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