行方
salco

死ぬ時はひとり
病床で死に向け衰弱して行く
ひとり剥がされて行く
それは寂しいことだ
あらゆる愛着を諦めさせられ
消えて無くなるのを
是認させられるだけの日々
世界に別れを告げ
明日に別れを告げ
自分に別れを告げる
こんなに無力な身となって
全て独りでやらねばならない

母は合掌するようになった
最後の入院の三週間
点滴交換や体温管理をして
出て行くナースに合掌し
集いを催した家でも
病院へ戻る時、深々と合掌した
お地蔵さんみたいに微笑んで
深謝と別れの挨拶だった
あの勇躍とタフだった人がと
見る方はたまらなかったが
そうした時を持てたのは
幸せな死に行きだった

生きる身に死は
理不尽に決まっている
が条理でもある
その過程が暴力に支配されない
日常の続きにあるというのは何と
幸せなことだろう
尊厳が奪われぬ生
これを享受し全うできたのなら
充分に幸運だ
勝利とも呼べる
先の海底トンネル事故で溺死した五人は
あっけなかったにせよ
理不尽と不条理のみに死んだのだ
惜別の暇さえ許されず

去年の津波で死んだ人たちに
温順な衰弱死
安楽な溺死があったろうか
冷たい海で渦に引き込まれずに済み
何かに掴まって浮いていた人達も
家屋や車、船体また樹木
夥しい漂流物と衝突し巻き込まれ
圧殺され轢断されて事切れたのだ
泥水に残された遺体
海から揚げられた遺体は悲惨な姿だったという
それを
死後の安息で粉飾できるのか
濁流に呑み込まれ、為すすべなく
沖合へと攫われて行く生前の
想像を絶する絶望を

慰霊、鎮魂
という情実がある
助けなくてすまなかった
という罪悪感がある
どんなにか苦しく恐かったろうね
という同情がある
それは祈りという対話の試みでもある
果たされようのない対話の試みである
死者に向け瞑目し献花する時
だが哀惜の用もない他人が彼らを
天国、浄土という
実体なき観念に丸投げするのは
視点を捨て去る安堵の為ではないのか
非業の死
その最期への想像力を働かせなくなる時
それをファンタジーへ「片す」時
それは忘却の、遺棄の一歩ではないのか


自由詩 行方 Copyright salco 2012-03-14 00:21:15
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