埋めるために
竜門勇気


朝の四時ごろ、おばあちゃんが眠れないといって
起きてきて気づいたのよと母が言った
首をさするとだらりとした感触がした
まるで濡れているようだった
溶けた泥のようだった
午前五時の空気がよそよそしい硬さで頭が回るのを妨げる
小さな体をくるんでいるボロ布に手を入れて腹を撫でてやった
途方もなく温かい
どこまでも温かい
足の付け根から黒く冷たい爪までまた丹念に撫でた

口の周りが水に濡れている
聞くと少し最期に吐いたみたい、とのことだ
透明な水を一口吐いて、彼は死んでしまった
何歳だったっけと呟く
彼を迎え入れた日の状況(例えば僕が中学生だったとか、引越しより前の事だったとか)
そんなことばかりでそれが何年のことだかはなかなか思い出せなかった
あ、と思いたち水呑み皿の受け皿を見ると
ショコラ・H7年・7月と書いてある
妹が書いたものだ
命名おじいちゃん、とも書いてある 
もうすぐ17歳だったんだね、長生きしてくれたね、と母に話しかけると
そうだね長生きだねと笑っていた

妹が仕事の昼休みに一度帰るという
そして僕は穴を掘った
鍬とスコップで石だらけの庭を掘った
コートのフードを小さな雨つぶが音を立てて打つ
頭から雨粒が透けて穴に落ちる
いくどか鍬を石だらけの泥に叩きつけては
母が泥と石を掻きだす
雨粒が透ける 鍬が火花をこぼす 母が石を掻きだす
穴は深くなる
小さな体が納まるように 思い出が遠くへいかなくなるぐらいの虚しい深さに

かつて彼の寝床だった場所に かつて彼のものだった毛布でくるんだ彼が眠っている
かつて彼が好きだった出窓に いつもそこから外を見ていた 彼を出窓に

部屋は暖かすぎるので
氷を入れた袋を抱かせた
目やにの臭いと口臭がした
それに混じった確かな死臭を嗅いだ
寝ぼけてこちらを見るような目をしているその顔が
遠くへいかない様に長い間冷たくなるばかりの腹をまた撫でていた
とても飽きそうになかった 永遠にこうしていたかった
優しい目で 彼は遠くを見ている かつて彼が飽きずに眺めていた出窓から 最期の世界を

濡れたタオルで体を拭いてやった
彼が生きている間に僕は
学校から逃げたり彼女が出来たりふられたり自分を殺そうと試みたりまた人を愛したりした
セミが夏以外にも決して世界から消え失せてはいないように
確かにそこにいたのだ
濡れた鼻を振り回してわがままをいったり
僕が泣いていたら心配気に低く吠えたり
確かにそこにいたのだ
肛門から小指の先ほど糞が顔を出している
毎朝六時に彼は父に庭に放ってもらって糞をするのが日課だった

今僕はルイ・アームストロングの聖者の行進を聞きながら
こんなふうに格好つけた詩を書いて追いだそうとしている
送り出そうとしている 手をふろうとしている
キーボードはただのぼやけた線の塊になる
二重になってぐるぐる回ったりもする
心の中には彼はいる
けど それは彼じゃない
ごまかしてしまうよりは
ひとつぶ残らず悲しもうと誓う
目を閉じさせてやろうとまぶたを触ると
眼球が空気の抜けた風船のように柔らかくたわんだ
それでもその目はやさしく僕らを見ている
最期の世界を見ている


自由詩 埋めるために Copyright 竜門勇気 2012-02-25 10:01:33
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