ガス・ストーブのこと
はるな

半年ぶりにかえった家はおどろくほど暖かく(ガス・ストーブをいれたの、と母)、慣れない匂いがした。住人が減り、それとちょうど反比例するように増えていく飾られる写真。

ウエディング・ドレスを着る。いくつも着た。それぞれ少しずつ異なる素材やデザインの、でもなんだかどれも似たりよったりのドレス―幸せの象徴みたいな。うすぺらい体をコルセットで締め上げて、どうにか凹凸をつけて、ロココみたいにばかばかしいパニエをくぐって、とてもほんとうとは思えないような厚底の靴を履かされて。―幸せの象徴みたいに。きれいですよ、ほんとうにまあ可愛らしい、と何人もに言われて。いくつものかたちをくぐって、まるでかたちを変えてしまう幸福の不思議。

どちらかと言えば厳しく躾けられた。親をいちばん傷つけるかたちで反抗した。しかし結局いちども一人暮らしをしないまま嫁ぎ、それから母がみょうに甘やかしてくるようになった。ちょうど二十歳ごろに家を出た姉に対してと同じように。わたしたちは離れてからはじめて、母娘のある部分を成しえたのかもしれない。そして穏やかなまなざしで、優しげな口調で、どんなに孫をたのしみにしているかを言う。母は、わたしの、未熟な生殖器に関することは、なにもしらない。

いくつものかたちをくぐって、それぞれの目にまったくべつのかたちであらわれる幸福と呼ばれるものもの。

外反母趾の足を押込んだ白い靴をパニエのしたで履きくずしながら、姉に宿った子どものことを考えていた。正確に言えばまだ子どもですらない受精卵―数日後には流されてしまうそれーについて考えていた。本音か世辞かの賞賛のむこうで湿る母の眼にみつめられながら。
子宮はものを考えるだろうか―宿しながら流し、しかし宿さぬ子宮が華やかに飾られる。母は知らない。姉の堕胎、わたしの未熟な生殖器。それが残酷なことだとは思わない。ただ、それは、それだけのことなのだ。それ以上の意味を、探し始めればとたんに、わたしたちは生きていることすら難しくなる。いまよりもずっと。

引菓子のパンフレットは分厚く、上質の紙がつかわれていて、なんだかすごく疲れてしまう。どうしてこんなに疲れてしまうんだろう。

「お腹に赤ちゃんがいると思うと、うれしいものだね」

いくつも紹介されるジュエリー。いくつも、いくつも。
反芻していた。あの言葉は、今までわたしが知っている言葉のなかで、どれよりも美しく、かなしい言葉だ。救いようのない言葉だ。絶望は、美しく透ける紙に包まれている。



散文(批評随筆小説等) ガス・ストーブのこと Copyright はるな 2012-02-22 21:56:05
notebook Home 戻る
この文書は以下の文書グループに登録されています。
日々のこと