開眼、ひとときの和楽
木原東子

Y 八歳の女子として親に質問した
「ねえ、どうして結婚したら赤ちゃんが生まれるの?」
返事はいまや失念

「ねえ、どこから赤ちゃんは生まれて来るの?」
「眠っていたからわからない」納得する

学校で生殖の理屈を知る
「ねえ、この私とは全然違うYちゃんが生まれたかもしれないんだよね」
理の当然だと思って

親が色をなしていかったこと、いまでも理解できていない



爾来地球にのっかって
危険に満ちた真空を疾走させてもらっているが

生命の由来すら薄々わかってきつつあるが
ある整った条件と期間があれば
自然発生する、
原子がアミノ酸へと結合して行くのだと

しかし
生きて増えて、知的生命体となっても
三苦を超越し得ない
何故にこの自分が
こうして生きなければならないのか
生命の定義すら疑う


60年かかってやっと意味の理解に辿り着いたある文

「人間の生きる意義は喜怒哀楽を感じることである
あるいは苦の中にもひと時の和と楽をたのしむことである」

よおし、ひとときの和と楽か
それを大切にしよう、ひとときくらいあるだろう


ああ、なんだか心が震え出した
それでいいのなら苦も苦にならないぞ

有り難い、Yとしておそまきながらの開眼
疲れたら死ぬことも
「やれやれやっと休める」と喜びであるかもしれない


ひともとのロウバイの色と香が
ここしばらくのよろよろの心に

ここだよ〜と呼びかけてくれた


自由詩 開眼、ひとときの和楽 Copyright 木原東子 2012-02-13 13:49:59
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