男とトイレと悲哀
藤崎 褥

 よくよく考えてみると、男のトイレというのはなにやら迫害を受けているような気がする。小便の場合は、トイレへ入れば誰にでも見える便器に向かって用を足さなければならないのである。
 日頃、どのようにかっちょよく決めている人でも、放水中の後姿というのは妙に切ないものである。それを公然とさらしながらやらねばならない。
 特に疑問を感じるのが、お互いの表情が見えるのである。これは女性の方にはなかなか体験できない。用を足している時にフッと視線が交差したりするのである。
 ちょっと、複雑である。

 なんちゅうか、用を足すのにわがままを言うつもりは無いが、そういう時くらい、ちょっと一人にさせてくれないかね?という気持ちにもなるのである。
 しかし、男というのは誇り高き生き物なので、なかなか個室へ行く事は出来ない。
 いや、別に本当に大きい用を足したいのであれば堂々と入るのだが、してもないのに「あ、大きいのを放出してきたな。すっきりした顔しやがって、この野郎…」という目で見られるのが非常に切ないのである。
 出来ればその場で出会った人全てに「違います、違います。ちょっと疲れたので一人になりたくて」と説明して回りたいくらいだが、それはなかなか出来ないし、トイレへ来ている人々というのは、皆無口なのである。
 だから、男は疲れていたり、ちょっと一人になりたくても最大限個室へ入ろうとはしない。

 何の気を使うことも無く個室へ入っていける女性トイレ…実に羨ましいのである。

 それだけではない。女性トイレへ男が入れば犯罪になる。しかし、男のトイレにはやたらと女が居るのである。行楽日和の観光地のトイレにはおばちゃんが駆け込んでくる事は珍しくないし、普通の日でも掃除のおばちゃんが平気な顔をして入ってくるのである。
 その度に男は少し身を小さくして、コソコソと出て行くのである。僕はこの場を借りて声を大にして言いたい。男性トイレにプライバシーと安らぎを!


散文(批評随筆小説等) 男とトイレと悲哀 Copyright 藤崎 褥 2004-11-28 13:41:57
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