ウブゴヱ
望月 ゆき



 空がひとつ、短く呼吸をして、タクトが振られる。
 と同時に、ティンパニが鳴りひびき、世界が崩れ落ちていく。無声映画のそれのように、 立ちつくすわたしの背中に、スローモーションで再生されていく。
 さながら、驟雨。

 海が、内側へ、内側へと、呼ばれている。

 メトロノームは破壊され、空間は混沌としている。それでも中心で、鼓動が、不規則に打ちつづけられ、幾重もの波動が描かれていく。ならば、わたしはきっと、その線譜に、旋律をのせよう。
 歌声だけが、死を、迂回できる。

 言葉をもたない景色のなかで、在りつづけるためには、理由が必要だ。

 樹木の並び、草の高さ、中庭、巨大迷路、
 風にひるがえる、カーテンのむこうで、子どもたちは毎日、未来を足し算している。そのありふれた朝もまた、おなじように。

 しずかに、潮流が校舎に流れこんで、この部屋の深い深い底で、奏者を亡くしたピアノが、溺れる。水はいつもやわらかく、森は無口にほほえんでいる。
 なつかしく、沈黙がかなでられ、積乱雲は無数の、シルエットを飲みこみながら、浮腫むくんでいく。

 歌は、誰かの叫びのなかに沈殿している。

 海よ、あなたのようになれたらと、笑いながら、または泣きながら、
 かつてあなたが愛した、その景色はもう、
 海よ、あなたそのものに、なってしまった、

 わたしのなかに、潮が満ちてくる。だがそれよりも以前に、わたしはただの、気配であった。
 形あるものが、輪郭だけを残し、ひとつの時代の、遺書になっていく。視界にひろがる、すべての絵空事をつたえる言葉を、誰も持たない。

 失われてしまった、友との諍(いさか)いと、
 かけがいのない、あの倦怠。
 日常は それぞれに、健やかであった。

 夜が、規則正しくおとずれて、
 白昼、湿り気を帯びたわたしの、質量を深い、深い、空の底で、しずかに埋葬しようとするので、わたしは
 足もとで風化していくわたしの、骨を、拾い集めることにいそがしい。

 歌は、ひとの中に在り、いつまでも終わらない。
 ひとはどこまでも、そしてずっと前から、未完だったのだから。

 抽斗に残された五線紙に耳をすますと、聴こえないはずの遺言が、聴こえてくる。
 限りある生を、歌いつづけるためにわたしは、しばしば海と交合し、日々を孕(はら)む。
 朝になると産み落としては、それを今日と名づけ、性懲りもなくまた、育んでしまう。







『詩と思想』新人賞応募作品(十二月号掲載)



自由詩 ウブゴヱ Copyright 望月 ゆき 2012-01-09 01:01:45
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